エキスパート・コメント

南シナ海仲裁判断における島の定義

1.はじめに

 南シナ海仲裁判断(概要は別コメント参照)は、長らく論争の的であった国連海洋法条約(以下、条約)第121条、とくに3項の解釈について、国際裁判では初めて詳細な判断を示しました。このコメントでは、その概要について解説します。  本条は、国際法上の島の定義、すなわち排他的経済水域(以下、EEZ)及び大陸棚を有する「島」か、そうでない「岩」かの区別を行う、次の1カ条で構成されています:

第121条(島の制度)
1. 島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。
2. 3に定める場合を除くほか、島の領海、接続水域、排他的経済水域及び大陸棚は、他の領土に適用されるこの条約の規定に従って決定される。
3. 人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。

 シンプルな規定ですが、それだけに「混乱と衝突のための完璧なレシピ」とも呼ばれ、実際に学説上も国家実行上も、統一的な理解が得られないまま、今日に至っています。

2.第121条の解釈−仲裁判断以前の学説と国家実行−

 なにが問題となるのでしょうか。仲裁判断をみる前に、主な論点を整理しておきます。
 @1項と3項の関係:1項は島を定義し、2項はその島が他の陸地領土と同様にEEZなどの海域を有すると定めるものです。その例外が3項ですが、島ではなく岩に言及しています。そこで、1項を満たす島なら3項は無関係でEEZを有すると解する「分離説」(日本は国会答弁でこの立場を表明、他国実行も実質的にはこれに近い)、1項を満たしかつ3項の要件も満たすならEEZを有すると解する「結合説」(2012年国際司法裁判所(以下、ICJ)「領土及び海洋紛争事件判決(ニカラグア対コロンビア)」や英国など。学説上は、これが多数派と思われます)、さらに3項を「維持することのできない」岩と「維持することのできる」岩に分類する規定と捉え、後者ならEEZを有すると解する「岩分類説」などが主張されています(各説の名称は便宜的)。
 A人間の居住:誰が、何人ほど住めばよいのでしょうか。政府から派遣された1名又は数名の軍人や公務員が、外部支援に完全に依存して生活しても居住といえるのでしょうか。
 B独自の経済的生活:経済活動はどこで行われるべきでしょうか。陸地に限られるのでしょうか。周辺海域での漁業や資源採集でもよいのでしょうか。「独自の」とは何を意味するのでしょうか。そもそも「経済的生活」は「経済活動」とは違うものでしょうか。収益が期待できず、政府の補助金に依存するような活動でも「経済的」といえるのでしょうか。
 C又は:「人間の居住」と「独自の経済的生活」は「又は」で結ばれています。起草過程では、居住は「独自の」経済的生活の前提と考え、「又は」を「及び」に修正する案も出されましたが、採用されませんでした。だとすれば、いずれかを満たせばよいのでしょうか。
 D維持することのできない:条約原文では“cannot sustain”と規定されているので、現時点で居住や経済的生活が維持されている必要はなく、あくまで可能性を示せば足りるのでしょうか。だとすれば、科学技術力があれば、また資金を惜しまなければ、たいていの陸地において、少なくとも将来的には可能性があると証明できるのではないでしょうか。
 このように、多様な解釈を許す本条は、本件を含む混乱と衝突を生み出してきました。

3.仲裁判断における島の定義

 仲裁廷は、第121条の文言、文脈、趣旨及び目的そして起草過程を詳細に検討して、結論を導きました。上で整理した論点に対応させる形で、その判断をみてみましょう。
 @1項と3項の関係:仲裁廷は、1項の要件を満たす地形を、包括的に、高潮時地形(high-tide feature)又は島と呼びます。そのうち、3項の要件も満たすなら「完全な権原を有する島」、満たさないなら「岩」と分類し、前者のみEEZと大陸棚を有するとしました。また、岩とは島のカテゴリーであるとも述べています。以上より、ICJの先例に沿い結合説を採用し、分離説と岩分類説は否定されたといえるでしょう。
 ちなみに仲裁廷は、何をもって「高潮時」とするかの規則はなく、合理的であればよいとして、英国や日本が戦前までに作成した当地の海図を基に判断しています。また、「岩」であるかどうかの判断に、地形の名前や組成は無関係としました。
 A人間の居住:地形を故郷(home)とし、そこに留まることができる人民による安定した共同体の一過性ではない居住を意味するとします。この共同体は大きい必要はなく、遠隔の環礁ではわずかな個人や家族集団でもよいとしますが、居住者は地形の自然の人口を構成する者である必要があり、EEZの資源は彼らの利益のために保護されると述べます。つまり仲裁廷は、単なる人の居住では足りず、定住者の居住を要件と解しています。
 B独自の経済的生活:これは人間の居住とリンクするものであり、地形又は地形のグループ上に居住し、そこを故郷とする人間の生活と生計を意味するとしました。それが独自のものとなるためには、活動は地形自体の周囲に起源を有しなければならず、専ら海域や海底で行われるもの、外部資源の注入に依存するもの、居住者が関与せず他所の住民の利益のために行われる資源採集などは該当しないとします。なお、経済的生活は単なる経済活動以上のものであり時間的要素を含み、ゆえに短期的ベンチャーは該当せず、また活動が長期に維持されるためには、最低限の利益があることが前提であるとも述べています。
 C又は:仲裁廷は、条文構造上は「人間の居住」か「独自の経済的生活」かのいずれかを満たせばよいと解せるとしますが、実際には安定した人間の共同体により居住されている場合にのみ、独自の経済的生活を有するのが普通であると付け加えています。これは、起草過程とは逆に、実質的に「又は」を「及び」と読む解釈を選ぶものといえるでしょう。
 D維持することのできない:「できない」とは収容力(capacity)に関係し、必然的に客観的基準であり、現在維持されているか否かは無関係とします。そして文脈より「維持することのできない」とは「人工的な追加なしには維持できない」ことを意味し、地形は自然の状態を基に評価されねばならないとしました。それゆえ仲裁廷は、陸地の埋立により岩を完全な権原を有する島に変えることはできないと述べますが、同時にこれは科学技術を駆使した将来的な可能性の証明をも考慮外に置く厳しい解釈ともいえます。さらに、「維持することのできる」とは、時間的要素と質的要素の両方に関係し、一定期間にわたり十分な水準で行われなければならないことを意味するとの理解を示しています。
 その上で、仲裁廷は、収容力の有無を判断するための具体的な基準として「不定期間に人間の集団が地形上で生活することを可能にするのに十分な量の水、食糧及びシェルターの存在」を示します。ただし、この基準は地形の一般的な気候や他の(有人)地形との近接性などの条件に影響を受けるため、地形ごとにケース・バイ・ケースで評価されるとしました。なお、起草過程から、地形のサイズは、水、食糧、生活空間や経済的生活のための資源の入手可能性に関係しうるが、それ自体は島か岩かを区別するための手がかりではなく、関連要因でもないとも述べています。
 以上を整理してみます。仲裁廷が定義するEEZ及び大陸棚の「完全な権原を有する島」とは、@の結合説に基づき、1項を満たす高潮時地形のうち、Aの意味での人間の居住「及び」Bの意味での独自の経済的生活を、Dの意味で維持できる収容力を自然状態で有する地形となります。仲裁判断以前の学説、国家実行よりも厳格な解釈を示したといえます。

4.スプラトリー諸島の地形への当てはめ

 次に、仲裁廷は、上記の定義をスプラトリー諸島の地形に当てはめる作業に移ります。その作業は、通常は物理的証拠のみで可能であるとします。たとえば、植生が完全に不毛で、生存に必須な飲料水や食糧などを欠く地形は、3項の要件を維持する収容力なしと判断されます。他方、物理的証拠のみでは判断し得ないボーダーライン上にある地形については、歴史的証拠、とくにEEZ設定以前の証拠を参照して収容力を判断するとしました。
 まず、小さな6つの地形(スカボロー礁、ジョンソン礁、クアテロン礁、ファイアリー・クロス礁、ガベン礁(北)、マケナン礁)は、物理的証拠のみで判断可能とされました。仲裁廷は、各礁を個別に検討していきますが、いずれも判を押したように、高潮時に水面上にあるため高潮時地形である(つまり1項を満たす)ことを確認した上で、サイズが極小(具体的な陸地面積に言及したのはファイアリー・クロス礁の2㎡のみ)で不毛であり、自然の状態では明らかに人間の居住及び独自の経済的生活を維持することができないとし、すべて3項の「岩」と結論しています。なお、仲裁廷は、環礁の埋立など人為的改変が行われ、軍人や公務員などが存在する礁については、ことごとく「その地位を岩から完全な権原を有する島に格上げすることはできない」と釘を刺すことを忘れていません。
 つぎに、大きな地形である太平島、ティトゥ島、スプラトリー島、サウスウェスト・ケイ及びノースイースト・ケイなどについては、物理的証拠のみでは判断できず、ボーダーライン上にある地形とみなされ、歴史的証拠による判断が行われました。ここでは、スプラトリー諸島最大の地形である太平島を中心に、検討が進められました。
 仲裁廷は、19世紀後半から20世紀前半頃までのEEZ設定以前の歴史的証拠を、飲料水の存在、植生、農業の可能性、漁業者の存在、そして商業活動の観点から極めて詳細に点検しました。その結果、太平島などには人民の小集団の生存を可能にする収容力があること、飲料水が存在すること、シェルターを提供しうる植生があること、限定的ながら食糧資源を補完しうる農業が可能であることを確認します。また中国の海南島などから、少数ながら漁業者が太平島などに来て現地調達資源を元に生存していたこと、台湾や日本の人民が漁業やグアノ採掘などの商業活動を行っていたこと、最近では施設建設が進められ、政府から派遣された軍人や公務員などが多く存在していることも確認しました。
 しかしながら、それでも仲裁廷は、太平島は第121条3項の要件を満たさないと結論しました。まず、人間の居住について、漁業者は「太平島出身」ではなく、彼らが家族を伴っていたとの記録もなく、利益を得た後は本土に戻るような経済目的で一時的に居住していたにすぎないと断じました。商業活動者も同様とします。また、軍人や公務員は、自らの意思で居住しておらず、地形をめぐる争いがなければ存在しなかったとしています。
 これとの関係で、仲裁廷は、EEZ導入の目的は、歴史的にわずかに居住された地形に海域の権原を与えたり、権原を拡張する期待をもって不自然な人民(すなわち政府派遣の軍人や公務員のこと)の入植を促進したりすることではないと述べ、また3項は、そうした挑発的、非生産的な努力を阻止することを意図する規定であるとも述べています。
 独自の経済的生活との関係については、極めて簡潔に、行われていた活動は本質的に採集活動であり、日本など他所の人民の利益のために行われていたにすぎず、また安定した共同体による居住を欠く中での採集活動は、経済的生活を構成するには不十分としました。
 こうして仲裁廷は、スプラトリー諸島最大の地形である太平島と、それより小さいすべての地形について、3項の要件を維持するための収容力を有しないと結論しました。もっとも、これらの地形が、12海里の領海を有することまでは否定しませんでした。

5.おわりに−仲裁判断は、島か岩かの論争に終止符を打ったのか−

 仲裁判断は、これまで他の国際法廷が巧みに避けてきた本条の解釈問題に果敢に踏み込み、曖昧な条文に明確性をもたらした点では評価されるべきでしょう。ただ、示された解釈は、従来の学説や国家実行と比べてもかなり厳格なものでした。仲裁判断に法的に拘束されるのは紛争当事国のみですが、仮に南シナ海以外でもこの解釈に従うとすれば、今日EEZと大陸棚の基点に採用される高潮時地形の多くが、「岩」となる可能性があります。
 もっとも、仲裁判断を他海域にも適用する場合、いくらか問題が生じるように思われます。たとえば、仲裁廷は、太平島(面積0.43㎢)をボーダーライン上の地形とみなし、3項の要件を満たすか否かの詳細な検討に進みました。では、ボーダーライン上とみなされる地形のサイズの「上限」とはどの位でしょうか。
 例として、ノルウェーの孤島、ヤンマイエン島(面積373㎢。福江島より大きく、種子島より小さい)は、ボーダーライン上でしょうか。1981年の国際調停委員会(委員に条約起草の中心人物を含みます)の報告書及び勧告は、同島が大きいこと、政府系の気象観測員などが周年滞在する事実に触れるだけで、EEZなどを有する島と即断しましたが、同島には定住者も経済活動も存在していません。
 ヤンマイエン島は、「岩」とするには巨大ですが、仲裁廷は、地形のサイズは島か岩かを区別する手がかりではなく、関連要因でもないと述べています。だとすれば、ヤンマイエン島でさえボーダーライン上とみなされ、3項の要件を満たさない「岩」と判断される余地があります。今日、EEZの基点に採用されている高潮時地形の多くは定住者を有さず、サイズも大小多様であることを考えれば、仲裁判断に不安を感じる国は多いでしょう。
 他方、仲裁判断における島の定義を一見して満たさないような高潮時地形の中には、既に少なくとも大陸棚を、条約上「合法」に獲得しているものも存在します。たとえば、オーストラリアがEEZと大陸棚の基点とするエリザベス礁とミドルトン礁は、ガベン礁(北)に似るサンゴ礁の砂州です。仲裁廷の言葉を借りれば、物理的証拠からサイズが極小で不毛であり、「岩」といえそうです。しかし、条約が設置した大陸棚限界委員会から延長大陸棚を認める勧告を受けており、同国はこの勧告に基づき既に2012年の国内法で大陸棚の限界を設定しています。日本の沖ノ鳥島も、北方の四国海盆海域の部分については、大陸棚限界委員会の勧告に基づき、既に2014年の政令により大陸棚の限界の設定を終えています。条約は「沿岸国がその勧告に基づいて設定した大陸棚の限界は、最終的なものとし、かつ、拘束力を有する」(第76条8項)と規定するため、仲裁判断との整合性が問題となりえます。
 このように仲裁判断は、南シナ海には解決をもたらす一方で、他海域には法的な不安定をもたらしています。「混乱と衝突のレシピ」をめぐる論争は、まだまだ続きそうです。

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