核兵器禁止条約

国際法学会エキスパート・コメント No.2017-1

阿部 達也(青山学院大学国際政治経済学部教授)

脱稿日:2017年10月10日

1.はじめに

2017年のノーベル平和賞は国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が受賞しました。7月に採択された核兵器禁止条約の成立に向けて中心的な役割を果たしたことが評価されたものです。
条約の成立は通常であれば広く一般に歓迎される出来事です。しかし、このことは核兵器禁止条約の場合には必ずしも当てはまるものではありません。条約の受け止め方が核兵器に対する立場の違いによって大きく異なっているからです。一方で、核兵器を保有していない諸国の多くやICANを含む国際NGOなど核兵器の廃絶に向けた取組を推進する立場からは条約の意義が強調されています。他方で、核兵器を保有しまたは保有していると疑われている諸国や核抑止力に依存する諸国など核兵器または核抑止力を安全保障の不可欠の要素と位置づける立場からは条約に対する懐疑的な見解や否定的な見解が示されています。
唯一の被爆国である日本でも状況は同じです。被爆者団体をはじめとして従来から核廃絶運動に携わってきたNGOなどの関係者や国内メディアの多くは、条約を肯定的かつ積極的に捉えています。これに対して、日本政府は、核兵器の非人道性に対する正確な認識と厳しい安全保障に対する冷静な認識という二つの認識を踏まえて、核兵器国と非核兵器国が協力して現実的かつ実践的な取組を重ねていくべきだ、という考えから、そもそも条約の交渉に参加しませんでした。このような日本政府の後ろ向きな姿勢は条約支持派から批判を受けてきました。
以下では、核兵器禁止条約という国際社会における評価が大きく分かれることになった条約を取り上げて、その成立にはどのような背景があったのか、具体的にどのような内容の規定が盛り込まれているのか、そして、締結にどのような意義を見出すことができるのか、を明らかにしてみたいと思います。

2.成立の背景

まず、なぜこの時期に核兵器禁止条約が採択されたのでしょうか。その理由は明白です。核軍縮が進んでいないからです。ストックホルム戦略研究所(SIPRI)の分析によれば、2016年現在、世界には依然として約15,400発の核兵器が存在しています。このうち9割以上を占めるのが米国とロシアです。核兵器不拡散条約(NPT)は核軍縮交渉について誠実に交渉を行うことを義務づけ、国際司法裁判所は1996年の「核兵器の使用または威嚇の合法性事件」勧告的意見において核軍縮交渉を完結させる義務があるとの見解を示しました。しかし、2010年に米国とロシアの間で新たな戦略兵器削減条約が締結されて以来、さらなる削減に向けた条約締結の動きはなく、2017年1月に就任したトランプ米大統領はむしろ核戦力を増強する意向さえ示しています。そして、北朝鮮は、国際社会からの非難を全く意に介することなく核開発を進めています。
このような状況にあって、核軍縮の進展を求める主張はさまざまな形で表明されてきました。たとえば、国連総会では日本、非同盟諸国、「新アジェンダ連合」(ブラジル、エジプト、アイルランド、メキシコ、ニュージーランド、南アフリカの6か国)がそれぞれ主導する核軍縮決議案が過去約20年間にわたり圧倒的多数の賛成によって採択されています。また、かつて米国の核実験場だったマーシャル諸島は、2014年に国際司法裁判所に対して核兵器を保有している国およびその疑いのある国計9か国を提訴し、核軍縮交渉義務の違反を主張しました(ただし、いずれも手続に問題があり実質的な審理は行われず)。
核兵器禁止条約のアイデアは、1997年に国際NGOによって発表された「モデル核兵器禁止条約」を直接の起源とし、2010年のNPT運用検討会議で留意されたことを契機として、その動きが活発化したものです。そして、この動きにとくに大きな影響を与えたのは、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結末(catastrophic humanitarian consequences)をもたらす」という点に着目した「核軍縮に対する人道的アプローチ」でした。2013年からノルウェーメキシコオーストリアの主導により開催された核兵器の人道的影響に関する政府間国際会議は、核兵器がもたらす人道的な影響について議論を深めることから始まり、2015年のNPT運用検討会議以後は、核兵器を禁止する条約の交渉開始を求めるものへとその性格を移していったのです。この会議に参加の認められていた国際NGOは当初から交渉の開始を強く主張しており、これが実現する結果となったのです。
2016年の国連総会は、核兵器を禁止する法的拘束力のある文書を交渉する国連の会議を2017年に開催することを決定し、条約の採択は多数決によって行うことを確認するという決議を賛成113、反対35、棄権13で採択しました。多数決の採択が確保されたこの時点で、非常に多くの諸国から支持を得ている核兵器禁止条約が成立することはもはや既定路線となりました。条約交渉のための会議は予定通り開催され、最終日の2017年7月7日に賛成122・反対1(オランダ)・棄権1(シンガポール)で核兵器禁止条約を採択して幕を閉じました。

3.内容の概観

核兵器禁止条約の正式名称はTreaty on the Prohibition of Nuclear Weaponsです。日本語に訳するとすれば「核兵器の禁止に関する条約」ということになります。条約は前文全24項と本文全20条によって構成されており、NPT、化学兵器禁止条約(CWC)対人地雷禁止条約クラスター弾条約など既存の軍縮・軍備管理条約がさまざまな箇所で参照されています。以下、主な規定を概観してみましょう。
前文は、条約の理念、目的、背景その他を記しています。特に「核軍縮に対する人道的アプローチ」に明示的な言及があり、核兵器の人道的影響に関する会議の条約成立に対する影響力を推し量ることができます。すなわち、第2項は、核兵器の使用からもたらされる壊滅的な人道上の結末(catastrophic humanitarian consequences)について深く憂慮するとともに核兵兵器の廃絶が当然の必要でありかつそれが核兵器の不使用を保証する唯一の方法であることを認識し、第4項は、核兵器の壊滅的な結末(catastrophic consequences)が適切に対処しえず、国境を越えてさまざまな重大な影響を及ぼすことを認識しています。これに関連して、第6項と第24項には核兵器の使用の被害者を指す文言として「ヒバクシャ(hibakusha)」が用いられています。
本文は、実体的義務、検証制度、締約国会議その他について定めています。最も重要な規定は第1条であり、「核兵器その他の核爆発装置」の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、移譲、受領、使用、使用の威嚇を禁止しています。「いかなる場合にも(under any circumstances)」という文言が挿入されていますので、禁止は絶対的で例外はありません。「核兵器その他の核爆発装置」はNPTで用いられている文言です。なお、核抑止を否定する意味を持つ「使用の威嚇」の禁止は交渉の最終段階で追加されたものであることを付言しておきたいと思います。
第2条と第4条はそれぞれ申告義務と廃棄の検証について定めています。締約国は、自国の「核兵器その他の核爆発装置」の保有状況、他国の「核兵器その他の核爆発装置」の存在状況などについて申告する必要があります。核兵器を保有する国がこれを廃棄することは第1条の「禁止」の帰結です。廃棄の検証に関して、条約が自国に発効する前に廃棄した場合と条約が自国に発効した後に廃棄する場合のそれぞれに手続が設けられています。いずれの場合も、将来設置される「権限のある国際当局」が検証にあたること、申告された核物質の平和的原子力活動からの転用がないこと及び未申告の核物質又は原子力活動が存在しないことについて信頼できる確証を与える上で十分な保障措置協定を国際原子力機関(IAEA)と締結することが定められています。
第8条は締約国会議と検討会議についての規定です。締約国会議は、「条約の適用または実施に関する問題および核軍縮のための更なる措置に関する問題について検討し、必要な場合には決定を行う」ために2年ごとに開催されます。また、検討会議は「条約の運用及び条約の目的を達成するにあたっての進展を検討する」ために条約発効後5年後に、その後は6年ごとに開催されます。検討会議はNPTに取り入れられて以来ほぼすべての軍縮・軍備管理条約において採用されている方式です。条約の非締約国、国連などの国際機関、赤十字国際委員会、関連するNGOなどは締約国会議と検討会議のいずれにもオブザーバーとして出席することが可能です。
その他にも、被害者に対する援助と環境の回復に関する規定(第6条)、条約発効要件(50か国の批准、受諾、承認または加入)(第15条)、核兵器禁止条約と既存の国際協定との関係(第18条)などが定められています。

4.締結の意義

上記の内容をもつ核兵器禁止条約が締結されたことにはどのような意義があるのでしょうか。大きく肯定的な側面と否定的な側面とに分けて考えてみたいと思います。
まず肯定的な側面は、核兵器を一般的に禁止する条約が成立したこと、これに尽きると言ってよいでしょう。これまでに核兵器を取り扱った条約として、部分的核実験禁止条約(PTBT)、NPT、包括的核実験禁止条約(CTBT)などの多数国間条約、ラテンアメリカ、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアの各地域を対象とする非核地帯条約、米ソ・米露の二国間核軍縮条約などがありました。しかし、国際司法裁判所が1996年の勧告的意見で指摘したように、核兵器そのものを一般的に禁止する条約は存在していませんでした。このような状況に照らせば、今回の核兵器禁止条約の締結によって、核兵器の法的な禁止の対象は事項的にも地理的にも一般的なレベルにまで拡大することになったということができます。核兵器の一般的な禁止の背後には使用によりもたらされる壊滅的な人道上の結末に対する幅広い共通認識があります。また、一般的な禁止の帰結として締約国には核兵器の廃棄が義務づけられており、これはNPTを強化するものとしてとらえることができます。理想主義を掲げて核軍縮を希求する多数の諸国、国際NGO、市民社会などにとって、核兵器禁止条約の締結は「核兵器のない世界」の実現に向けた取組の中でも文字通り目に見える形での具体的な成果であり、積極的に評価されるものです。
これに対して否定的な側面は、核兵器禁止条約の実効性がほぼ無いに等しいということです。この条約は核兵器そのものを禁止することを目的とするものです。それゆえ、核兵器を保有していない国がどれだけ多く参加したとしてもほとんど意味はありません。これらの国はすでにNPTに基づいて核兵器を保有してはならない義務に服しています。条約の参加が強く望まれるのは核兵器を実際に保有している国です。しかし、自国の安全保障環境を直視する現実主義の立場からこの条約には反対なのです。そしてこのような立場は、核兵器を保有しまたは保有していると疑われている国にとどまらず、日本を含む核抑止力に依存する諸国にも共有されているのです。したがって、これらの国が条約の当事国になる見込みはありません。いかなる条約であれ、条約に拘束されるのは当事国に限られます。「条約は第三国を益しも害しもしない」のです。交渉の最終段階において「使用の威嚇」を禁止する規定が追加されましたので、条約に反対の諸国が政策を転換して条約に参加するためのハードルはさらに高くなったと言えるでしょう。核兵器禁止条約が発効して核軍縮のための新たなフォーラムを形成することになれば、過去約半世紀にわたって積み重ねられてきたNPTの運用検討プロセスそれ自体が弱体化しかねないという指摘もなされています。

5.おわりに

核兵器禁止条約の成立は、核兵器について理想主義と現実主義という二つの大きく異なる考え方が国際社会に存在することを改めて示しました。そして、まさにこの条約の成立によってそれぞれの考え方に立つ諸国の間の溝はさらに深まってしまいました。もっとも、核兵器禁止条約のこのような否定的な側面は当初から織り込み済みのことだったと思います。国際社会の現状では、残念ながら核兵器保有国や核抑止に依存する国が核兵器というオプションを放棄できるまでの段階に至っていません。
そうだとすれば、核兵器禁止条約を成立させた真の狙いは、少なくとも短期的・中期的には、通常の条約のように、新たに設定された国際法規範の実施を通じて条約の目的を実現することではなく、むしろ、それは核兵器の禁止という新たな国際法規範の設定という事実を作り出すことそれ自体にあるのだと思います。この事実は国際法の規範性に大きく依拠した強い政治的なメッセージとして国際社会の現状を変えてゆく力になる、そのような願いが込められていると思います。条約の成立に中心的な役割を果たしたICANがノーベル平和賞を受賞したこともこのような文脈からとらえることができるでしょう。もちろん、このメッセージは直接的には核兵器を保有している国に向けられています。核兵器保有国には、この条約への参加とは別のアプローチによって、核軍縮に取り組んでゆくことが強く求められています。そして、日本を含む核抑止に依存する国には、このメッセージの橋渡しとしての役割を果たすことが期待されるのです。