国連における特別報告者について

国際法学会エキスパート・コメント No.2017-2

小坂田 裕子 (中京大学法学部教授)

脱稿日:2017年11月3日

はじめに

特別報告者から日本に対して示された勧告とそれへの日本政府の対応が注目されています。問題の発端となったのは、プライバシーの権利に関する国連特別報告者のジョセフ・カナタチ氏(マルタ大学教授)が、組織犯罪処罰法改正案が国会で審議中だった2017年5月18日に、安倍晋三首相に公開書簡を送り、法案がプライバシーの権利や表現の自由を制約するおそれがあると懸念を表明したことにあります。もう1つは、2017年5月末に公表された、意見及び表現の自由に関する国連特別報告者であるデビッド・ケイ氏(カリフォルニア大学教授)が作成した訪日報告書案です。そこにおいてケイ氏は、日本政府に対して、メディアの独立性を確保するために放送法を見直すことを求め、教科書検定や特定秘密保護法への懸念を表明しました。これらに対して日本政府は反論し、2017年5月30日には、「特別報告者の見解は、当該個人としての資格で述べられるものであり、国際連合またはその機関である人権理事会としての見解ではないと認識している」とする閣議決定を採択しました。このような日本政府の特別報告者の位置づけに関する理解は正しいものなのでしょうか。また、もし特別報告者の勧告イコール国連の見解でないのであれば、それは重要性が劣り、検討に値しないということになるのでしょうか。

1.特別報告者とは?

特別報告者は、国連人権理事会の特別手続の1つに位置づけられ、特定の国を対象とする特別報告者とテーマ別の特別報告者がいます。特定の国を対象とするものとしては、現在、ベラルーシ、カンボジア、朝鮮民主主義人民共和国、エリトリア、イラン、ミャンマー、1967年以降のパレスチナ被占領地、シリアの特別報告者が存在します。テーマ別のものとしては、現在、文化的権利、発展の権利、障がい者、教育の権利、環境、略式裁判による刑の執行、食糧の権利、意見及び表現の自由、平和的集会及び結社の自由、有害物質の管理と処分、身体的及び精神的健康、適切な住居、人権擁護者、司法の独立、先住民族、国内避難民、ハンセン病、移住者、マイノリティ、貧困、プライバシーの権利、人種差別、宗教又は信条の自由、子どもの売買、奴隷、テロリズム、拷問、人身売買、真実・正義・補償・再発防止の保障、一方的強制措置、女性に対する暴力、水と衛生、女性差別についての特別報告者が存在します。
特別報告者は、どのように活動しているのでしょうか。意見及び表現の自由に関する特別報告者を例にとれば、まず、政府、NGO、個人からの具体的ケースや法制度及び法の適用の問題に関する通報を検討し、所見を公表する手続が存在します。また、国家の同意を得て当該国家を訪問して現地調査をおこない、必要な勧告をおこなう手続も存在します。特別報告者は、このように特定の国における人権状況や世界的な人権侵害について調査をし、人権理事会や国連総会にあてた報告書を作成します。
では、特別報告者はどのように選ばれ、国連においていかなる位置づけにあるのでしょうか。特別報告者は公募され、人権理事会の5地域(アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、東欧、西欧)が指名した個人資格の委員で構成される選考委員会が審査をおこなって、定められた基準(専門性、活動分野における経験、独立性、公平性、清廉性、客観性)を満たす候補者を絞り込み、人権理事会の議長が適任者を選任し、人権理事会が任命するという手続で選ばれます。特別報告者は国連のスタッフではなく、報酬は受けません。特別報告者は、人権理事会が任命した個人資格の独立した専門家であり、閣議決定で示されたように、その勧告は国連の見解というわけではありませんが、国連から特定された役割を与えられているのであって、一私人として行動しているわけではありません。

2.国連の人権保護の歴史と特別報告者の独立性の意義

特別報告者の勧告イコール国連の見解ではないのであれば、それは重要性が劣り、検討に値しないことになるのでしょうか。結論を先に言えば、それはむしろ逆で、人権理事会によって任命された独立性が確保された個人資格の専門家による意見だからこそ、慎重に検討するに値します。ではなぜ個人資格の専門家であることが、人権問題の検討において重要なのでしょうか。この点を理解するためには、国連における人権保護の歴史を理解する必要があります。
第2次大戦後につくられた国連では、人権問題が大きく取り上げられ、「人権及び基本的自由を尊重」するための「国際協力を達成すること」が目的の1つとして国連憲章に明記されました。1946年に国連の第1回総会が開催されると、憲章第68条で予定された「人権の伸長に関する委員会」として「人権委員会」が設立されます。もっとも、活動を開始した人権委員会がまず最優先事項としたのは、世界人権宣言と国際人権規約などの起草といった国際人権文書の作成でした。国連の下には、創設以来、人権侵害を申し立てる通報が世界各地から多く寄せられていましたが、1947年には人権委員会は申立を受理できるが、いかなる申立についても、なんら行動をとる権限をもたないとの決議が採択され(経済社会理事会決議75(v))、この決定はその後20年にわたり維持されました。
状況が一変したのは、1965年のことです。独立を達成したアフリカ、中東、アジア諸国が国連に対して、植民地主義、人種差別主義、アパルトヘイトに関連する人権侵害に対応するよう求めるようになったのです。これを受けて人権委員会は、1967年に南アフリカに関するアドホック専門家作業部会とアパルトヘイトに関する特別報告者の設置を決定します(決議2(XXIII)と決議7(XXIII))。これにより特別手続が生まれることになりました。さらに委員会は、国連経済社会理事会(経社理)に対して一貫した形態の人権侵害を示す事態を研究・調査する権限を付与するよう要請するとともに(決議8(XXIII))、委員会の任務に人権侵害を扱う一般的及び特定的措置を勧告する権限を加えるよう経社理に要請します(決議9(XXIII))。これらの要請が同年の経社理決議1235(XLII)の採択につながり、これがいわゆる1235手続を設置するとともに、将来の特別手続設置の法的基礎となりました。
1235手続とは、人権委員会が加盟国の重大な人権侵害について公開で審議をおこなうものです。世界レベルでの人権裁判所が存在していない状況では、人権を確保する上で、国際世論が大きな役割を果たします。公開審議をおこなう1235手続は、国際世論を多くの場合に反映しており、それこそがこの手続の強みです。しかし、次第に1235手続の問題点が明るみに出てきます。それは、人権委員会が国家代表から構成されているために、人権の議論も政治化しやすく、その結果、1235手続の対象とされる国家の選別が各国の政治的思惑により左右されてしまうことになったのです。こうした人権委員会の政治化が、人権理事会創設の背景になりました。
他方で、特別手続は1235手続とは別の発展を遂げました。先にも見たように、特別手続において特別報告者などに任命される人は、国家代表ではなく個人資格の専門家で、その活動には国家などからの独立性の確保が求められます。これにより手続の公平性が確保され、現に、1235手続では監視を免れていた大国も特別報告者の調査の対象となっています。特別報告者が個人資格の専門家で、その勧告が政治的機関である国連の見解とイコールでないことは、むしろ手続の政治化を避け、公平性を確保する上で重要なのです。

おわりに

ここまで特別報告者の勧告が国連の見解とイコールではないこと、しかしむしろ特別報告者が個人資格の専門家であるがゆえの独立性こそが手続の政治化を避け、公平性を確保する上で重要であることをみてきました。では最後に、特別報告者の勧告には法的拘束力はあるのでしょうか。その答えは、ノーです。特別報告者の勧告には法的拘束力はありません。そのため特別報告者も自らの活動が実を結ぶためには、政府との協力が重要であることを認識し、政府との対話に重点をおいています。特別報告者と政府の対話の中で生まれてくる自発的な気づきこそが重要なのです。
日本政府も、人権理事会の理事国選挙に際して、2016年7月に公表した「世界の人権保護促進への日本の参加」の中で、「国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)や特別手続の役割を重視。特別報告者との有意義かつ建設的な対話の実現のため、今後もしっかりと協力していく」と述べていました。そうであるならば、批判を受けても耳を閉ざして自己弁護に終止するというスタンスに立つのではなく、特別報告者の指摘をきっかけに自らの法や実行を振り返り、必要があれば改善していくという姿勢こそが望ましいと言えるでしょう。