チャゴス諸島に関する勧告的意見諮問の背景と国際法上の意義

国際法学会エキスパート・コメント No.2018-2

藤澤 巌(千葉大学法政経学部教授)

1 はじめに

2017年6月22日国連総会は、総会決議71/292を可決し、以下の二つの点について、国際司法裁判所(ICJ)に勧告的意見を要請しました。

(a) 1960年12月14日の国連総会決議1514(XV)、1965年12月16日の同決議2066(XX)、1966年12月20日の同決議2232(XXI)および1967年12月19日の同決議2357(XXII)に反映されている諸義務を含む国際法に鑑みて、モーリシャスからのチャゴス諸島の分離に引き続いて1968年にモーリシャスが独立を付与された際にモーリシャスの脱植民地化プロセスは適法に完了されたか?

(b) モーリシャスが自国民とりわけチャゴス諸島出身の自国民のチャゴス諸島への再定住プログラムを実施することができないことに関するものも含む、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国によるチャゴス諸島の継続的な行政から生ずる、上記諸決議に反映されている諸義務を含む国際法の下での帰結はなにか?

質問の内容を簡単にまとめれば、①1965年にイギリスの植民地であったモーリシャスからチャゴス諸島を切り離したうえで、チャゴス諸島以外の部分を1968年に独立させたことは、「植民地独立付与宣言」と呼ばれる国連総会決議1514(XV)などに定められている人民の自決権を含む国際法に照らして適法であったか、②切り離したチャゴス諸島をイギリスが今日まで継続的に支配していることから、いかなる国際法上の帰結が生じるか、という二点です。

今回の勧告的意見の要請の背景にはどのような経緯があるのでしょうか。また質問が提起する手続上および実体法上の論点にどのようなものがあるのでしょうか。以下ではこれらの疑問点について順番に見ていきましょう。

2 経緯

チャゴス諸島は、インド洋の中央にある群島です。モーリシャス島の北東1200マイル(2000キロ)前後に位置します。チャゴス諸島は、19世紀以来、モーリシャス島などとともに英領モーリシャスの一部としてイギリスにより植民地として統治されていました。ところが、1965年イギリスは、枢密院令(Order in Council)によりチャゴス諸島を英領モーリシャスから切り離し、新たに設置された「イギリス領インド洋地域(the British Indian Ocean Territory, BIOT)」に編入しました。その後英領モーリシャスは1968年に独立し主権国家となりましたが、チャゴス諸島は引き続きBIOTとしてイギリスが統治しています。

また、チャゴス諸島には1968年当時1500人ほどが居住していたとされますが、イギリス政府は、1968年から1973年にかけて全住民をチャゴス諸島から退去させる措置をとりました。退去させられた住民やその子孫は、モーリシャス、セイシェル、イギリス本国などに居住しています。

なぜイギリスはチャゴス諸島を英領モーリシャスから切り離し全住民を退去させたのでしょうか。当時、往年の大英帝国も衰勢は覆いがたく、イギリス政府は「スエズ以東」からの撤退を検討していました。これに対しアメリカは、イギリスの撤退によりインド洋に軍事的空白が生じることを懸念しました。結果として、チャゴス諸島のディエゴガルシア島に軍事基地を建設しイギリスとアメリカが共同使用することが両国間で合意されました。そこで、将来英領モーリシャスが独立する場合にもディエゴガルシア基地の運用が害されることのないよう、チャゴス諸島は英領モーリシャスから切り離され、またアメリカ側の要請に応じてチャゴス諸島の全住民の排除が実施されたわけです(木畑洋一「覇権交代の陰で―ディエゴガルシアと英米関係―」木畑洋一・後藤春美編『帝国の長い影―20世紀国際秩序の変容―』(ミネルヴァ書房、2010年)249-269頁)。

1980年代以降、モーリシャス政府は、1965年のチャゴス諸島の分離は国際法上違法であり、チャゴス諸島の領有権はモーリシャスに帰属するとの主張を国際的に展開しています。近年では、2010年にイギリスがチャゴス諸島周辺海域に海洋保護区を設置したことについて、国連海洋法条約第XV部に基づきモーリシャスとイギリスを紛争当事国とする仲裁裁判が行われ、海洋保護区の設置は国連海洋法条約に違反するという仲裁判断が2015年に下されています。今回の国連総会による勧告的意見の要請も、モーリシャスを含むアフリカ諸国が中心となって提案したもので、賛成94、反対15、棄権65で可決されました(A/71/PV.88)。

3 手続上の論点

それでは、ICJは今回の諮問に応じ勧告的意見を出すのでしょうか。ICJ規程第65条第1項は、ICJは勧告的意見を与えることが「できる」と規定しています。すなわち、勧告的意見を与えるか否かの判断についてICJには裁量が認められています。ただし先例上、勧告的意見の付与は国際連合の主要機関としてのICJによる国連の活動への参画を意味するのであり、「やむを得ない理由」がある場合を除くほか原則として拒否されるべきではないとされています。

それでは今回の諮問について、ICJが勧告的意見を拒否すべき「やむを得ない理由」はあるでしょうか。この点についておそらくもっとも重大な主張は、今回諮問された問題の本質はモーリシャスとイギリスの間のチャゴス諸島の領有権に関する紛争であり、ICJが勧告的意見を付与すれば両国間の領土紛争に法的判断を下すことになるので、ICJは勧告的意見を与えることを拒否すべきであるというものです。ICJには、国家間の紛争についての裁判と、国連機関などの要請に基づく勧告的意見の付与という、二つの役割があります。また国家間の紛争についての裁判を行うためには、すべての紛争当事国の同意が必要です。ここから、勧告的意見という形で国家間の紛争についてICJの判断を要請することは、すべての紛争当事国の同意という国家間紛争についての裁判の条件を迂回しようとするものであるので、ICJは勧告的意見の付与を拒否すべきと主張されるわけです。

モーリシャスとイギリスの間にチャゴス諸島の領有権をめぐる紛争が存在することは確かです。またチャゴス諸島周辺海域の海洋保護区に関する仲裁裁判にみられるように、モーリシャスがチャゴス諸島の領有権に関する紛争をなんとか国際裁判に持ち込もうと画策している形跡もあります。モーリシャスの真意は勧告的意見という形でチャゴス諸島の領有権をめぐる紛争をICJに判断させることにあるという見方も、当たらずとも遠からずと言えるかもしれません。

しかし、ICJがこのような主張を受け入れて勧告的意見の付与を拒否した事例はこれまでのところありません。先例においてICJは、勧告的意見を拒否しない理由として、①勧告的意見は、国家ではなく、国連総会などの機関の要請に基づきそれらの機関に与えられる、②勧告的意見は判決と異なり法的拘束力がない、③当該事例に関連して二国間紛争が存在するとしても、それは国連による脱植民地化への取組みといったより大きな参照枠組の中で生じたものに過ぎない、④当該事例における勧告的意見要請の目的は、二国間の紛争の処理ではなく、脱植民地化といった国連の任務の遂行の助けとなる意見をICJから得ることにある、などの根拠を挙げています。

今回の諮問も、その文言上は、脱植民地化に関する国連総会決議に言及しつつ脱植民地化の問題としてチャゴス諸島の分離を定式化しており、ICJが勧告的意見の付与を拒否する可能性はあまり高くないようにも思われますが、二国間の領土紛争に関わる限りで回答を拒否するといった形で、ICJが部分的にでも勧告的意見の付与を拒否するかどうかが、注目されます。

4 実体法上の論点

次に、今回の問題の実体法上の論点にはどのようなものがあるでしょうか。今回具体的に問題となっているのは、第1に1965年のチャゴス諸島の英領モーリシャスからの分離、第2に1968年から1973年にかけてのチャゴス諸島からの全住民の退去措置です。順番に見ていきましょう。

チャゴス諸島の分離が国際法上適法であった理由としてイギリスが挙げる主要な根拠には、①1965年に植民地人民の自決権は確立していなかった、②自決権が確立していたとしても植民地領域の分割は禁止されていなかった、③自決権に基づき植民地の分割が禁止されていたとしても、イギリスはそのような規範の成立に一貫して反対してきたのでそれに法的に拘束されない(一貫した反対国の法理)、④いずれにせよチャゴスの分離についてモーリシャス人民の代表が同意した、⑤チャゴスは元来モーリシャスとは別個の植民地であった、といったものがあります。

これらの主張のうち①②③は、1965年の段階で、植民地の分割が、人民の自決権に基づいてイギリスに対して禁止されていたか否かを問うものです。一般に、国際法上の人民の自決権の発達においては、諮問にも言及されている1960年の「植民地独立付与宣言」および、「友好関係原則宣言」と呼ばれる1970年の国連総会決議2625(XXV)が重要であるとされており、1970年以降の人民の自決権の国際法上の存在には争いがありません。しかし、1965年の時点で自決権に基づき植民地の分割が禁止されていたか否かについては学説でも議論があります。

④は、たとえ自決権が存在していたとしても、自決権の主体であるモーリシャス人民の代表がイギリス政府との間でチャゴス諸島の分離について1965年に合意(「ランカスターハウス合意」)したので、分離は国際法上適法であったという主張です。これに対しモーリシャスは、チャゴス諸島の分離への同意は独立を認める対価としてイギリスによって強制されたものであり、自由な同意とは言えないと反論しています。しかしイギリスはさらに、仮に「ランカスターハウス合意」に瑕疵があったとしても、1968年の独立後モーリシャスが分離への同意を再確認したことにより当該瑕疵は治癒され、現在においてはイギリスによるチャゴス諸島の統治は適法であるとも主張しています。

「ランカスターハウス合意」については、モーリシャス代表の同意が強制されたものかどうかという問題とは別に、合意を結んだモーリシャス代表が、分離によって直接影響を受けるチャゴス諸島の住民も代表していたと言えるのかどうかも論点となりうるように思われます。具体的には、モーリシャスの代表の選出には選挙などを通じてチャゴス諸島の住民も参与していたのか、また当該代表はチャゴス諸島の住民の意向を聴取したのか、といった論点がありうるように思います。

さらには、人民が自由に同意したと言うためには、そもそも「ランカスターハウス合意」のような宗主国と植民地の代表者間の合意では十分ではなく、レファレンダム(人民投票)や選挙による人民の意思の表明が必要であるとの見解もあります。

また、イギリスは、チャゴス諸島周辺海域の海洋保護区に関する2015年の仲裁裁判が「ランカスターハウス合意」の国際合意としての法的拘束力を認定しており、ICJもこの判断を尊重すべきであるとも論じています。仲裁判断がそのように認定したかどうか自体自明ではなく、ICJが仲裁判断を尊重する法的義務もありませんが、「ランカスターハウス合意」に関わる仲裁判断をICJがどれだけ考慮するのか注目されます。

これに対して⑤は、チャゴス諸島は英領モーリシャスの一部として統治されたのではなく、行政の便宜上モーリシャスの従属地(dependency)として統治されたに過ぎず、元来モーリシャスとチャゴス諸島は別個の植民地であったので、分離は適法であるという主張です。イギリスが挙げる根拠とは必ずしも同一ではありませんが、学説にも、チャゴス諸島をモーリシャスとは別個の植民地と捉え、チャゴス諸島の住民が「人民」として自決権を有すると考える見解があります(Stephen Allen, The Chagos Islanders and International Law (Hart Pub Ltd, 2014))。この立場を受け入れるなら、分離自体は国際法に違反するものではなかったことになります。しかし他方で、現在ではチャゴス諸島人民に独立やその他の政治的地位を自由に決定する自決権があることになりそうです。⑤は、自決権の主体である「人民」はどのように決定されるべきかという問題を提起していると言えるでしょう。

以上のような諸論点を検討した結果、チャゴス諸島の分離が違法だった場合、イギリスによる同諸島の継続的統治の法的帰結についてICJが回答するとするなら、イギリスは違法なチャゴス諸島の占拠を終了させなければならないと判断される可能性があります。他方で、チャゴス諸島の分離が適法だった場合も、現在チャゴス諸島がイギリスの植民地でありその帰結としてイギリスがチャゴス諸島の脱植民地化の義務を負うことは否定できないのではないでしょうか。むしろ問題はその脱植民地化の進め方であり、基地の必要がなくなった時点でのチャゴス諸島のモーリシャスへの返還を定める「ランカスターハウス合意」の規定に従えば足りるのか否かが、論点となりそうです。

次に、1968年から1973年にかけてのチャゴス諸島からの全住民の退去措置について見てみましょう。上述したように、少なくとも1970年以降自決権が確立していることに争いはありません。またイスラエルがパレスチナ占領地に壁を建設したことについての2004年のICJ勧告的意見では、壁の建設はパレスチナの人口構成を変化させるリスクがありパレスチナ人民の自決権行使を阻害すると判断されています(para. 122)。以上を考慮すると、少なくとも1970年以降のチャゴス諸島からの住民の退去措置は、植民地の人口構成を変化させるものであってモーリシャス人民またはチャゴス人民の自決権の侵害に当たると考える余地がありそうです。

このような考慮によるかどうかはわかりませんが、イギリス政府も、チャゴス諸島からの全住民の退去措置に問題があったことは否定していません。その上でイギリス政府は、住民の退去から生じた問題は、1982年にイギリスとモーリシャスが合意を結び被害者への補償を行ったのですでに解決済みであると主張しています。この点については、チャゴス諸島の元島民がイギリス政府をヨーロッパ人権裁判所に提訴した際に、補償を受け取った元島民はそれ以上の救済を放棄したと同裁判所が判示した事例もあります。しかしこれに対しては、1982年の合意は個人の私権について補償を定めたに過ぎず、集団の権利としての自決権の侵害の救済には当たらないという反論もなされています。個人に対する補償によって自決権の侵害に対する救済が果たされたことになるのか、それとも自決権の侵害を救済するためには、元島民のチャゴス諸島への帰還の実現のような措置が別途必要とされるのかが論点となっているとみることができます。

5 おわりに

ここまで見てきたように、今回の勧告的意見の要請は、二国間の紛争の存在を理由にICJが勧告的意見の付与を拒否すべきか否かという手続上の論点を改めて提起すると同時に、脱植民地化の国際法、とりわけ人民の自決権について、自決権はいつ確立したのか、人民の自由な同意の条件はなにか、誰が自決権の主体たる人民なのか、個人の権利と人民の自決権の関係をどう捉えるか、といった実体法上の諸問題を投げかけています。ICJがこれらの国際法上の諸問題にどのように回答するのか注目され、またこれらの問題にどのように回答したかによって勧告的意見の国際法上の意義も定まると言えるでしょう。

他方で、2でも見たように、この勧告的意見にはこのような国際法上の論点への寄与を超える意義があることも見過ごせません。一方において、勧告的意見は、その内容によっては、アメリカとその同盟国の安全保障政策に影響を与える可能性があります。他方では、退去措置により苦難を味わってきたチャゴス諸島の元住民やその子孫の救済の必要性という問題意識が、勧告的意見要請の背景にあることも間違いありません。ICJの判断が、国際法上の論点の背後にあるこれらの実質的問題にどのような影響をもたらすかについても、注視する必要があるでしょう。