難民グローバル・コンパクトの採択

国際法学会エキスパート・コメントNo.2019-4

山本 哲史(航空自衛隊幹部学校航空研究センター研究員)
脱稿日:2019年2月10日

 

1.はじめに

 難民を助ける方法については様々なアプローチがありますが、大きな枠組みとしては保護(protection)と支援(assistance)の二つがあります。前者は「難民の地位に関する条約(難民条約)」が中核的な位置付けであるのに対し、後者については普遍的なレベルでの国際的対応のしっかりとした指針となるようなものが、ありませんでした。

 昨年末に国連総会決議で支持(affirm)された「難民に関するグローバル・コンパクト(Global Compact on Refugees)」(以下「難民グローバル・コンパクト」)は、その意味で難民の支援に核心的な役割を果たすものとして関係者の間で期待されています。他方、これを内容的に不十分であるとする批判も見られます。難民グローバル・コンパクトによって、難民支援の何がどう変わることが期待されているのでしょうか。

 

2.難民の保護と支援の状況

 2017年末時点で、世界には難民が2,540万人、庇護申請者が310万人、国内避難民が4,000万人ということで、これらを総じて実に6,850万もの人々が住居を追われて生活しているとされています。

 一方、こうした状況にあって、そもそも難民を助けようとしない国がある、ということをまず知ってください。賛否あるとしても、日本もそのように批判されることもあります。ご存知でしょうか。世界の難民の人口の63%はわずか10カ国で保護されており、UNHCRの年間予算の93%は10カ国によって(自発的に)拠出されているというデータもあります。世界に193カ国もある中で、この状況なのです。たとえばシリア難民の多くを受け入れて保護しているのは、レバノンやヨルダンなどの周辺国です。一方、ヨーロッパが大騒ぎしている理由は、端的に言えば難民を助けたくないからだ、とも言えるのです。難民条約は、条約に加入している国に、条約の定義に該当する難民(条約難民)を保護する義務を課すものです。つまり義務としてでなければ難民を保護しようとしない国が少なくない、ということがうかがい知れるのです。

 ところで難民条約の定義上、難民は、少なくとも難民条約の加入国に入域しない限り条約難民とは認められませんので、まず難民はそうした国へ到達できるか否かが重要になります。これを「人の移動能力(human mobility)」の観点から整理すると、諸々の理由のため自国から逃れることのできない国内避難民もいれば、自国の外に逃れたものの、目指す国には到達できない難民もいる(例えば親戚のいるドイツに逃げたいがギリシャに留まるなど)、ということになります。このように考えると、難民が希望に応じた保護を受けるためには移動能力がなければならず、そこから更に条約難民に該当するや否やの審査を経て、認定されねばなりません。難民が保護を受けることは難しいのです。

 他方、そうした法的義務によらず、ともかくも困っている人を助けようという場合が支援です。これは義務に基づかない自発的行動によるわけですから、その意味でニーズに応える柔軟性が期待できる反面、多様な主体がそれぞれの意思で支援しようとするため、協力や調整に工夫が必要となります。また、自発的行動であるとしても関係者間で頭揃えをして基本的な考え方を明確にしておくことも重要です。ここに難民グローバル・コンパクトが必要とされたわけです。支援の主体は国だけでなく国際機関やNGOなど様々ありうるわけですから、それぞれの支援主体の組織原理や方針、場合によっては趣味嗜好による偏りが発生します。一般的にヨーロッパにいる難民は支援を得やすい反面、アフリカやアジアの難民には十分な支援が及んでいないことが、その資金規模の比較から指摘されたりするのは、この文脈でのことです。

 

3.経過

 2016年9月19日の国連総会決議「難民及び移民に関するニューヨーク宣言」(A/RES/71/1)は、関係国が問題に「包括的(comprehensive)」に取り組むことを約した点に特徴があります。具体的には、問題の核心が大量難民(large refugee movements) にあることを明示し、その予防から解決に至るまで、平和的な方法で原因に取り組むことを目指しているのです。これは、例えば難民条約が「亡命偏重(exilic bias)」の対処を前提としていることとの対比において注目すべき点です。

 「亡命偏重」とは、上記のように本国を離れた難民を保護するというものであり、言い換えれば難民の本国には基本的に何も働きかけず、すなわち流出原因に取り組むことを放棄している対応のことを指しています。難民条約だけでなく、非政治中立を標榜するUNHCRもまた、この「亡命偏重」の対応を原則としてきました。しかし問題が一向に解決しないケースが「長期化する難民状態(protoracted refugee situation)」として一般的に注目され、象徴的にはシリア難民の問題も終息を見せない中、ここにきて「包括的」対応が強調的に志向されることになったのです。

 上記「ニューヨーク宣言」の付属書「難民への包括的対応枠組(Comprehensive Refugee Response Framework, CRRF)」には、特に難民の受入国や地域に対する支援を強化する意識から取り組まれるべき項目が整理されました。その詳細化と、実践的適用を考える上で必要な視点を加味した成果文書として、難民グローバル・コンパクトを採択すべく、関係諸国だけでなく幅広いステークホルダーを巻き込んだ議論の場を向こう2年にわたって設けるよう、UNHCRに要請が行われたのです。

 そしてその2年の間に「ニューヨーク宣言」に沿ってUNHCRが主導する形で関係する国や組織間の会合が重ねられ、その成果を報告書としてまとめたものが、難民グローバル・コンパクト(A/73/12 Part II, 2018年8月2日, その後9月13日に技術的マイナー改定)としてUNHCRから年次報告の一部として国連総会に提出され、これを支持することが総会決議として採択され一連のプロセスは結実したのです(A/RES/73/151, 賛成181対反対2[米国及びハンガリー], 2018年12月17日)。

 なお、この難民グローバル・コンパクトと関係の深い「移住グローバル・コンパクト(Global Compact for Safe, Orderly and Regular Migration)」も同時期にモロッコで開催された国際会議で採択され(12月11日)、国連総会でもエンドースされています(12月19日)。紙幅の関係でこの点は割愛しますが、後者に一層大きな注目が集まったことも特徴であると言われます。法的拘束力のない文書であることに加え、特に新規性のない内容であると酷評される場合に、移住グローバル・コンパクトの内容的充実との対比が意識されることが少なくないので、そうした評価の妥当性を判断するためにも、そちらの関係情報も一覧なさると良いでしょう。

 

4.内容と課題

 反対票を投じたハンガリー代表の説明に見られるように、難民グローバル・コンパクトに内容的新規性はなく、既存の枠組から問題に対応することが可能であるとする批判があります。また、賛成票を投じながらも難民グローバル・コンパクトに法的拘束力が無く、これはあくまで国際協調のための負担分配を趣旨とする制度である、と強調するロシア代表のような立場もあります。他方、ドイツ、フランス、オランダのように、これを逆に「大きな一歩(major step)」として評価する立場もあります(GA/12107)。どのような評価が妥当なのでしょうか。

 おそらく内容の目新しさや、法的拘束力の有無に関して言えば、賛否いずれの立場からの説明も、それぞれに間違ってはいません。しかしこれらの意見はいずれも特定の状況を背負った国の立場から行われている点が重要です。そこには、難民グローバル・コンパクトそのものに対する評価を行うこと以上に、自国の今後の行動の自由をなるべく制約することのないよう配慮する姿勢が透けて見えます。難民を多く受け入れてきたドイツなどは、負担分配が国際社会の総意であることを強調しておきたいでしょうし、ハンガリーや米国は難民受入を将来的にさらに大きく「担当」させられることを警戒しているのでしょう。これらの国々は、一方で、難民グローバル・コンパクトに仕組まれた手続的取極の機能や評価には触れていません。この点は重要です。

 難民グローバル・コンパクトには、負担分配の話し合いを持つための会議(Global Refugee Forum)を、各国の閣僚級の参加者をはじめとする関係者間で定期開催する、という手続が定められています。その初回会合は2019年に予定されており、以後、4年毎に各国とUNHCRが国連事務総長も招いてジュネーブで共催することになっており、そこで各国は様々な具体的局面における、財政面、物資面、技術面、難民の再定住受入数、その他の滞在資格での引受数など、様々な形態での柔軟な貢献を誓約(pledge)することが想定されているのです(パラ17)。法的拘束力はなくとも、あるいは、内容的新規性は見られないとしても、そのような場面設定が行われていることが重要であると考えられているのです。諸国は、自分の国にできることを探すでしょうし、それが仮に純粋に誠実な態度から出てくるものでなくとも、人道問題における他国との分担という目線で比較の目にさらされることになる中で諸国の思惑に働きかけるには十分な仕掛けであると思います。少なくとも、何か特定の役割に責任も余裕もあると考えられている国が何もしません、というのは、もちろん禁止はされてないまでも、何もしませんとは言い難くなっているわけです。

 この文脈で、一例として、日本政府が2016年9月の「難民に関するリーダーズ・サミット」において宣誓した「貢献」提案をどう評価すべきかを考えてみてください。他国のように難民を受け入れることではなく、資金提供を行うことでより貢献したいとする日本政府の対応を、消極的に過ぎると批判する向きもありましたが、どう思いますか? 日本政府としては、諸事情あって難民の国内受け入れに難色を示したからこそ、より得意な分野では何か積極的な貢献をしなければならないという思考回路が働いていた可能性がある、とは考えられないでしょうか? 同様に、諸国それぞれがバラエティに富んだ貢献の仕方を表明していたことを見逃してはなりません。難民グローバル・コンパクトは、「大きな一歩」であるとする意見は、この点を指しているのです。要するに、各国とも事情に応じた支援を堂々とし易くなったのです。

 他にも、NGOなど市民社会との連携や、開発援助と難民支援の効果的な組み合わせの工夫、難民の自立支援や、第三国定住や帰還の促進、フォローアップの仕組みなど、機能的に注目すべき内容が約20頁にわたり豊富に盛り込まれています。そうしたことは目新しくもない、と上記のように切り捨てる見方もあります。紙幅の都合で詳しくは触れられませんが、重要なことは、理想を掲げたというよりも、これまでの国際社会での難民支援の実績から現実的に手の届きそうなところを具体的かつ包括的にまとめた文書が、2年もの間、国だけでなく国際機関やNGOなど主要なステークホルダーの参加を得ながら会合を繰り返した結果、採択され、手続に沿って実施されつつある、ということだろうと思います。

 

5.おわりに

 難民グローバル・コンパクトは、これから実施されていく新しい取り組みであるため、まずはその経過を見なければ評価はできません。一つはっきりしていることは、これが主として難民に関する負担を分配するためのモデルである、という特徴です。このことには、さらに本質的な問いが関係しているので、その点を意識しながら趨勢を見守ると良いかもしれません。

 上記の通り、難民の保護が「亡命偏重」であることについては何も変わっていません。それは言い換えると、誰の責任で難民が流出し、苦境にあるのか、という点が、やはりはっきりとは問われないままに捨て置かれていることを意味します。誰かの責任を追及することが、必ずしも建設的な結果に繋がるとは思いませんが、しかし一方で、シリアでなぜ泥沼の紛争が続いているのか、これをより率直に言えば、なぜ血みどろの殺し合いが続き、爆撃で命が奪われ、家が破壊されているのか。このことの責任を、歴史的な経緯も含めて明確にすることなしに、諸国による負担分配だけを自発的申出に委ねて促進し、調整しようとすることには、やはり根本的な無理があると私は考えています。もちろん、それは簡単なことではない上、紛争を助長する結果にもなりかねない危険をはらんだ考え方でもあるかもしれません。

 それでもなお、対立や紛争と難民流出との間に、どこまでの因果関係を諸国やステークホルダーは共通理解として見出しているのかを明確にした上で、負担分配は調整されるべきではないでしょうか。そのことを話し合う場を設定する作業をどう工夫できるか、その次第もまた、難民グローバル・コンパクトのような取り組みを一層説得的かつ公正なものにしてゆく上で、避けては通れない本質的な課題であるように思います。