国際法学会エキスパート・コメントNo.2019-6
平見 健太(東京大学・日本学術振興会特別研究員PD)
脱稿日:2019年5月16日
1 はじめに
昨今の国際社会では、国家安全保障(national security)を理由に何らかの規制措置を実施する国が散見されるようになっています。とりわけトランプ政権下の米国ではこうした傾向が顕著であり、たとえば、鉄鋼とアルミニウムの輸入増加が米国の安全保障上の脅威になっているとして、2018年3月より、通商拡大法232条にもとづき両産品の輸入に対して追加関税措置が発動されています。また、2018年8月に成立した米国国防権限法では、中国を念頭におきながら、安全保障上の問題に直結しかねない先端技術・知的財産等の流出を防ぐべく、対米投資規制・輸出管理規制が強化されることとなりました。もちろん、一口に国家安全保障上の措置といっても、対処すべき危険の種類(テロ、サイバー犯罪、感染症の流行など)に応じて措置の内容も様々ですが、上記米国の例にも示されているように、経済活動の規制を伴う措置として実施されることが少なくなく、その結果、貿易や投資をはじめとする経済活動に多大な影響が及ぶこととなります。
一般的に国家安全保障とは、国家の領域や国民の保護、領域内における法秩序の維持など、国家の存立にかかわるものが念頭におかれ、かかる利益の保護が国家にとって死活的に重要であることは言うまでもありません。それゆえ、国家安全保障上の目的で国家が何らかの措置をとること自体は否定されるべきではないでしょう。しかし他方で、とりわけ経済分野においては国際経済活動を自由化・円滑化するための多種多様な条約が世界中に張りめぐらされているため、ある国が安全保障上の目的で何らかの経済規制を試みる場合、当該措置が、同国を当事国とする経済条約上の何らかの義務と抵触する可能性は大いにあるといえます。
かくして困難な問題が生じることとなります。すなわち、国家安全保障という国家の重大な利益の保護と国際法規範の実現とをいかにバランスよく達成すべきか、です。安全保障目的であることをみずから主張すれば国家は何をしても良いとなれば、安全保障を口実とした国際法違反がまかり通り、ひいては国際法規範の実効性が掘り崩されるおそれがあります。他方で、国際法規範の厳格な実施の代償として自国の安全保障が脅かされてしまうといった事態は、到底国家の容認しうるものではないでしょう。
本コメントでは、ここ最近こうした国家安全保障を理由とする貿易制限措置の是非が立て続けに問題となっている、世界貿易機関(WTO)の紛争事例に焦点を当て、以上の難問につき若干の検討を行いたいと思います。
2 WTOにおける安全保障例外
WTO協定は、貿易の自由化と平等な競争条件の実現を主たる目的とした多数国間経済条約で、物品貿易に関するルールを定めたGATTや、サービス貿易に関するルールを定めたGATSなどの複数の協定によって構成されています。そしてこれら2つの協定には、安全保障例外なる条項が設けられています(GATT21条、GATS14条の2)。ここではGATT21条に着目することとしますが、その内容は以下のとおりです。
第二十一条 安全保障のための例外 (※下線部は以下のコメントに関連する箇所です)
この協定のいかなる規定も、次のいずれかのことを定めるものと解してはならない。
(a) 締約国に対し、発表すれば自国の安全保障上の重大な利益に反するとその締約国が認める情報の提供を要求すること。
(b) 締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める次のいずれかの措置を執ることを妨げること。
(i) 核分裂性物質又はその生産原料である物質に関する措置
(ii) 武器、弾薬及び軍需品の取引並びに軍事施設に供給するため直接又は間接に行なわれるその他の貨物及び原料の取引に関する措置
(iii) 戦時その他の国際関係の緊急時に執る措置
(c) 締約国が国際の平和及び安全の維持のため国際連合憲章に基く義務に従う措置を執ることを妨げること。
要するに、安全保障上の理由から国家がGATT上の義務に反する貿易制限措置をとったとしても、上記(a)〜(c)のいずれかの要件を満たす場合には、義務違反が免除され当該措置は正当化されることになります。つまりこのGATT21条の運用を通じて、安全保障という国家の重大な利益の保護と国際法規範の実現との間のバランスが図られることになるわけです。なお、この種の安全保障例外条項は、FTAや投資協定あるいは伝統的な二国間通商航海条約などにも設けられることが多く、各条約において同様の機能を果たすことになります。
このように重要な役割を担う安全保障例外条項ですが、この条項の実効性を大きく左右する問題として以前より指摘されてきたのが、誰が以上の要件該当性を判断するのか、という問題です。上記21条(b)柱書にあるように、自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると「締約国が……認める(considers)」という規定ぶりになっていることから、その要件該当性は援用国の自己判断(self-judging)のみに依存するようにも思われ、であるならば、濫用に対する歯止めが効かなくなるのではないかといった懸念がかねてより表明されてきたのです。
このGATT21条に関しては、これまでWTO紛争処理の場で審理されたことがなかったものの、ここ数年の間に、同規定の解釈適用が問題となりうる紛争が立て続けに発生し、WTO紛争処理に持ち込まれるに至っています。主たるものを示すと、まず冒頭で紹介した米国の232条関連措置については、EU・中国を含む9か国が問題をWTO紛争処理に申し立てています。また中東では、2017年に生じたカタールに対する近隣諸国の国交断絶措置と経済制裁をきっかけに、カタールがUAE、バーレーン、サウジアラビアを相手取ってWTO紛争処理手続を進めています。同様に、2014年のクリミア危機に端を発するロシアの対ウクライナ経済制裁に関して、ウクライナが2016年9月にロシアをWTO紛争処理に申し立て、パネル審理が行われていましたが、2019年4月5日、遂にパネル報告書が公表されるに至りました(ロシア・貨物通過事件パネル報告書)。本件は、パネルがはじめてGATT21条の解釈を示すこととなった事案であり、またその解釈次第では将来の濫用を招きかねない問題でもあるために、パネルの判断にはおのずと世間の注目が集まりました。
以下では本件パネル報告書に着目し、パネルがGATT21条の問題にいかに取り組んだのかを紹介することとします。
3 ロシア・貨物通過事件パネル報告書
本件は、ウクライナ産品(貨物)の中央アジア諸国向け輸出に関して、その輸送ルート上に位置するロシアが貨物の自国領域通過を禁止・制限する措置をとったことが問題とされた事案で、申立国ウクライナは、かかるロシアの措置が貨物の通過自由を定めるGATT5条等に反するとして、WTO紛争処理に申し立てを行いました(paras. 7.1-2)。これに対してロシアは、当該措置が2014年以来生じている国際関係の緊急時にとられた措置であり、自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要な措置であるとして、上述のGATT21条(b)(iii)を援用しました。と同時に、「締約国が……認める」という同規定の文言上、その適用の可否は援用国自身が自己判断すべき問題であって、それゆえパネルはGATT21条に関する問題を審理することができないと主張しました(paras. 7.3-4, 7.27-30, 7.57)。これに反論するかたちでウクライナは、GATT21条の問題といえどもパネルは管轄権を有すること、そしてGATT21条の援用国には完全な裁量があるわけではなく、その要件該当性はパネルの客観的評価に服すると主張しました(paras. 7.31-33)。こうして本件では、つぎの2点が主たる争点となりました。①GATT21条の適用に関する問題について、そもそもパネルは審理を行うための管轄権を有するのか、②パネルが管轄権を有するとした場合、ロシアの措置はGATT21条の要件を満たし正当化されるのか、です。
まず①の問題について、パネルはGATT21条(b)の文言や、GATTおよびWTO設立協定の趣旨・目的、さらには起草過程の詳細な分析を通じて、その管轄権を肯定しました(paras 7.62-82)。その際にパネルは、とくに(b)の(i)〜(iii)に着目し、条文の論理構造上これら各号が援用国の裁量を限定する機能を果たしていること(para. 7.65)、そして(i)〜(iii)に規定されている事項の存否については、客観的評価が可能である旨を指摘しており(paras. 7.66-77)、こうした解釈がGATT21条に対する審査を肯定するうえで重要な役割を果たしていることが理解されます。
かくしてパネルは、②の問題、すなわちロシアの本件措置がGATT21条の要件を満たし正当化されるか否かの評価に移りました。そこではまず、ロシアの措置がGATT21条(b)の(iii)に規定される状況においてとられた措置かどうかが、上述のとおり客観的に評価されました。その結果パネルは、2014年のクリミア危機以来生じている状況が「国際関係の緊急時」に該当するとしたうえで(paras. 7.119-123)、本件ロシアの措置はかかる「緊急時に」とられた措置であることを認定しました(paras. 7.124-125)。
続いてパネルは、ロシアがGATT21条(b)柱書の要件を充足しているか否かの検討に移りましたが、まず、何が「安全保障上の重大な利益」に該当するのかに関しては、一般的にGATT21条援用国の判断に委ねられるとしました。しかし同時に、パネルはウィーン条約法条約31条1項および26条を参照することで、GATT21条(b)(iii)を信義則(good faith)にもとづいて解釈適用する加盟国の義務が存在することを示し、このことを理由に援用国の裁量も決して無制約ではないことを強調しています。そしてかかる一般的な信義則義務を拠りどころに、何が「安全保障上の重大な利益」に当たるのかを明確化する説明責任が援用国の側にあることを導出しています(paras. 7.130-134)。この点、本件にてロシアはみずからの考える「安全保障上の重大な利益」が何なのか明示しませんでしたが、パネルは2014年クリミア危機の性質にかんがみて、本件にてロシアの保護する利益が「安全保障上の重大な利益」であると認めました(paras. 7.135-137)。
最後に、安全保障上の利益の保護のために措置が「必要」かどうかについては、かかる必要性要件にも信義則義務が適用される結果、措置と安全保障上の利益との間には、もっともらしい関係という最低限度の要件(minimum requirement of plausibility)は必要であるとされました。つまり、必要性判断の文脈においても、一定の制約に服するとはいえ援用国には大幅な裁量が認められることになります(paras. 7.138-139, 7.146)。この点本件措置は、2014年のクリミア危機と何ら関係がないとまでは言えず、よって以上の最低限度の要件は満たすとして、その必要性が認定されました(paras. 7.140-145)。
以上よりパネルは、ロシアがGATT21条(b)(iii)の要件をすべて満たしていると認定し(para. 7.149)、その結果ロシアのGATT違反は存在しないと結論づけられたのです(paras. 8.1-3)。
4 パネル判断のもつ含意
ロシア・貨物通過事件パネル報告書において注目すべき点は、以下のとおりです。すなわち、協定違反に対する正当化事由としてGATT21条が援用される場合、①その適用の可否はもっぱら援用国の自己判断に依存するのではなく、パネルの審査に服すること、そのうえで、②GATT21条(b)(iii)の要件該当性を評価するにあたっては、(i)〜(iii)の要件該当性に関してはパネルが客観的かつ厳格な審査を行なえる一方、(b)柱書の要件該当性に関しては、信義則にもとづく制約が存在しながらも、基本的には広範な裁量が援用国の側に認められ、その裏返しとしてパネルの審理密度は非常に低いものになっていることなどです。
こうしたパネルのGATT21条解釈は、冒頭にて提示した問題意識にかんがみると、どのように評価されるでしょうか。ここで詳細な分析を行なう余裕はありませんが、総じて言うならば、司法審査を肯定しつつも基本的には援用国の裁量を相当程度認めるというパネルの基本姿勢は、安全保障という国家の重大利益の保護と国際法規範の実現との間に均衡点を見出そうとする試みとして、肯定的に評価されるべきでしょう。また、本件にて表明された第三国意見において、米国を除いた多くの国が、ニュアンスはあれどパネルの提示したものと軌を一にする解釈を主張していたことは(paras.7.35-52)、本件パネルのGATT21条解釈が加盟国に受容されてゆく可能性が高いことを示唆しています。
しかし他方で、細部に目を向けると問題点も浮びあがってきます。たとえば、21条(b)柱書の要件に関して、パネルは例外条項の濫用を防止すべく、信義則を拠りどころに援用国側の説明責任を導いていますが(paras. 7.133-134)、本件にてロシアはみずからの規定する「安全保障上の重大な利益」が何なのかを明確に説明しなかったにもかかわらず、同国がクリミア危機に言及したことのみをもってかかる説明責任は果たされたとパネルは認定しています(paras. 7.136-137)。ここでの説明責任のような手続的要件を課すこと自体は、援用国の実体的判断に関する裁量を侵食するものではないと思われますが、他方で、この種の要件該当性の評価に関してまで援用国の裁量に配慮し、著しく浅い審理密度で対応するとなれば、GATT21条の濫用を防止すべく導かれた説明責任の要件に如何ほどの存在意義があるのか、疑問の余地が生じます。この点パネルも、求められる説明責任の程度は事案に応じて異なるとの指摘を忘れていませんが(para. 7.135)、いずれにしても、抽象的な信義則を足がかりに導いた以上の具体的基準・要件を、事案に応じていかに巧みに運用してゆくかが、GATT21条の濫用を防ぐうえでの重要な鍵となるのかもしれません。
5 おわりに
本件パネル報告書は2019年4月26日に紛争解決機関(DSB)会合において採択され、以上のパネル判断が確定しました。これはすなわち、紛争当事国の双方がパネルの判断を受け容れたことを意味しますが、他方で本件の第三国たる米国は、GATT21条を援用国の自己判断規定と解する立場を変えることなく、同会合にてパネルの解釈を厳しく批判しています。同種の紛争を多数抱える米国が、今後いかなる対応を模索してゆくのかは注目に値するところです。いずれにしても、本件パネルのGATT21条解釈は、WTOにて現在進行中の他の安全保障例外関連の紛争のゆくえ(とくに当事国の訴訟戦術や、紛争ごとに設置されている各パネルの判断)に少なからぬ影響を及ぼすものと思われ、また、他の条約中の安全保障例外条項の運用にも影響を及ぼす可能性があります。
国家安全保障を理由とした貿易制限措置が今後も引き続き問題となることが予期されるなかで、本件パネルの定立した解釈論的枠組が、GATT21条の正当な援用事例と濫用事例とをいかに選別しうるのか、そして将来の濫用をいかに抑止しうるのか、今後も注意深く見守ってゆく必要があるでしょう。