元徴用工訴訟問題と日韓請求権協定

国際法学会エキスパートコメントNo.2019-8

和仁 健太郎(大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授)
脱稿日:2019年7月29日

1 はじめに

 戦前に日本企業により強制連行され強制労働に従事させられたと主張する韓国人(いわゆる「元徴用工」。日本政府は「旧朝鮮半島出身労働者」と呼称)が日本企業に対し損害賠償の支払いを求めて韓国の裁判所に提起したいくつかの訴訟については、2018年10月30日に大法院(韓国の最高裁判所)が被告(新日鉄住金)の上告を棄却し原告の勝訴を確定させる判決(韓国語原文張界満・市場淳子・山本晴太による日本語訳)を言い渡して以降、同様の判決が相次いでいます(三菱名古屋勤労挺身隊訴訟に関する2018年11月29日の大法院判決三菱広島徴用工訴訟に関する同日の大法院判決など)。日本政府はこの問題が1965年の日韓請求権協定により解決済みの問題だとして強く反発していますが(2019年7月19日外務大臣談話など)、韓国は協議要請(日韓請求権協定3条1項)にも仲裁付託(同2項・3項)にも応じておらず、この問題をめぐる日韓両国の見解の食い違いは、最近における日韓関係悪化の一因になっています。

 日本政府は大法院判決が「日韓請求権協定第2条に明らかに反し」ていると断じていますが、同判決が日韓請求権協定に違反しているかどうかはそれほど自明ではなく、判決を一度きちんと読んでおく必要があります。そこで、本コメントでは、日韓請求権協定の概要を確認(2)した上で、大法院判決の内容を検討することにします(3)。

2 日韓請求権協定の概要

 日韓請求権協定は、1965年の日韓国交正常化に当たり、日韓基本関係条約などとともに締結された条約で、4か条からなる協定本体のほか、いくつかの関連合意が締結されました。

 日韓請求権協定1条は、日本が韓国に対し、3億ドルに等しい円の価値をもつ日本の生産物および日本人の役務の無償供与、ならびに2億ドルに等しい円の額の長期低利借款を行うと定めています。その上で、2条1項は、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、……完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と定めています[下線筆者]。この問題を「完全かつ最終的に解決されたことと」するための具体的な方法を定めるのが2条3項であり、①「一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置」と、②「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくもの」については、「いかなる主張もすることができないものとする」と定めています[下線筆者]。①に「措置」という語が付いているのに対し、②にはそのような語が付いていません。これは、①が各締約国の処分(国内的な「措置」)に委ねられた(そうした「措置」について「いかなる主張もすることができな」くなる)一方、②については、協定それ自体の効果として・・・・・・・・・・・・、「いかなる主張もすることができな」くなったことを意味します(参照:谷田正躬・辰巳信夫・武智敏夫編『時の法令別冊:日韓条約と国内法の解説』(大蔵省印刷局、1966年)61-62頁)。そして、①について日本がとった「措置」が日韓請求権協定措置法であり、同法1項は、「[日韓請求権協定2条3項の]財産、権利及び利益に該当するものは……、昭和40年6月22日において消滅したものとする」と定めています。

 「財産、権利及び利益」(①)と「請求権」(②)の違いや、①についてとった「措置」および②について「いかなる主張もすることができないものとする」ということの意味については様々な議論がありますが、本コメントではそれらの問題を詳しく検討できませんし、その必要もありません。前者の問題については、裁判所の確定判決を得ていない損害賠償請求権などは「請求権」に当たるという趣旨の日本政府の国会答弁があり(第126回国会衆議院予算委員会議録26号(平成5年5月26日)35頁)、大法院判決も、①と②の違いについて検討することなく、原告の損害賠償請求権は「請求権」に当たるとの前提で議論を進めていますので、本コメントでは、元徴用工の日本企業に対する損害賠償請求権のような、協定締結時に判決等によって確定していなかった債権は「請求権」であると、とりあえず考えます。次に、「いかなる主張もすることができないものとする」ということの意味については、(a)国家の請求権(外交的保護権)のみを放棄したという説、(b)個人の請求権も消滅したという説、(c)個人の請求権は実体的には消滅していないけれども裁判上訴求する権能を失わせたという説があり、日本政府は現在では(c)説をとっています(平成30年11月14日第197回国会衆議院外務委員会議録2号29-30頁)が、今回の大法院判決を理解するためにこの問題に立ち入る必要はありません。大法院は、「誰の」請求権が「いかなる意味で」消滅したのかという観点からではなく、日韓請求協定により「いかなる主張もすることができな」くなった「請求権」の事項的範囲・・・・・がどこからどこまでかという観点から問題を処理したからです。

 この問題に対する大法院の答えは、「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」は日韓請求権協定がカバーする範囲外の問題であり、個人の請求権も国家の請求権も消滅していない、というものです。この命題はどのような論理により導かれたのでしょうか。次にこの問題を検討します。

3 大法院判決の論理

 大法院判決の論理には不明瞭な点もありますが、その骨子は次のように理解できます。すなわち、(i)日韓国交正常化に至る交渉において、日本と韓国は、1910年(日韓併合)から1945年までの日本による朝鮮半島統治が違法だったかどうかについて合意しなかった、(ii)したがって、日本による朝鮮半島統治の違法性を前提にしてはじめて生じ得る請求権についても合意せず請求権協定の対象外に置かれ、裁判等による事後的な解決に委ねられた、ということです。

 大法院判決の論理構成のうち、(i)はまったくその通りで、日本政府もそのように認識しています。問題は、ここから(ii)の命題が出てくるかどうかです。まず、日本と韓国は、韓国・韓国人が日本・日本人に対して要求できるかもしれないすべての事項について交渉したのではなく、その一部についてだけ交渉し、交渉した範囲の財産・請求権問題を解決することで合意したのだ、という理解は、これはこれであり得る話です。この理解によれば、交渉当時に知られていなかった問題や、知られてはいたけれども交渉の対象にしなかった問題は、協定の対象外だということになります。元徴用工(強制動員被害者)の慰謝料問題は後者の問題に該当するというのが大法院の判断です。韓国政府の立場は、強制動員被害者の慰謝料問題についてやや曖昧な部分がありますが、考え方の枠組みは大法院と同じで、日韓請求権協定の締結交渉で取り上げられなかった問題(例えば慰安婦問題)は協定の対象外だというものです(参照:山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」17-20頁)。他方、日韓請求権協定は、交渉の対象にしなかったものや、将来出てくるかもしれない未知の問題も含め、韓国・韓国人と日本・日本人との間の財産・請求権の問題をすべて包括的に解決したのだ、という理解もあり得ます。日本政府は協定をこのように理解しているために、例えば慰安婦問題や元徴用工の慰謝料問題などは、交渉当時に知られていた問題であろうがなかろうが、また、交渉で取り上げられた問題であろうがなかろうが、請求権協定によって解決済みだという立場になる訳です(元徴用工の慰謝料問題について本コメントの1を、慰安婦問題について例えば第183回国会衆議院外務委員会会議録第8号(平成25年5月22日)12頁を参照)。

 これら2つの理解は、一般論としてはどちらもあり得ます。つまり、国家はどちらの内容の条約を結ぶことも可能です。したがって問題は、日本と韓国が1965年にどちらの内容の合意をしたかです。条約という国家間の合意の意味内容を明らかにする作業が条約の解釈ですが、条約解釈は、条約交渉者が条約締結時にどう思っていたかを探求することによって行われるのではなく、締約国は条約条文に書かれた内容に・・・・・・・・・・・・同意したのである以上、条約条文(「用語の通常の意味」)を出発点に、それを文脈(条約文全体や条約の関連合意など)や条約の趣旨・目的に照らして解釈することにより行われます(条約法に関するウィーン条約31条; ICJ Reports 2002, p. 645など参照)。

 そして、請求権協定の条文を基礎として解釈する限り、同協定は韓国・韓国人と日本・日本人との間の請求権の問題をすべて包括的に解決したと解釈するのが自然です。協定2条3項は、「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日[この協定の署名の日]以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする」[下線筆者]と定めており、「いかなる主張もすることができな」くなる「請求権」の範囲は、協定署名の日以前に生じた事由に基づくものという形で、時間的に限定されているだけだからです。

  日本による朝鮮半島統治が違法だったかどうか、また、その違法性を前提にしてはじめて生じる請求権があるかどうかについて、日本と韓国が合意しなかったのは事実です。しかし、そういう請求権はあるかもしれないし、ないかもしれないけれども、この問題を放置すると国交正常化の妨げとなるので、請求権協定によって解決したことにしたのだ、というのは完全にあり得る説明です。事項的範囲を限定することなく「すべての請求権」についての完全かつ最終的な解決を規定した請求権協定の条文は、この説明と適合的な訳です。

 最後に、日本企業による強制動員や強制労働が「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配……と直結」していたと大法院判決が述べたことの意味について考えます。本件で問題となったのは、民間企業の民法上の不法行為責任です。本件と同じ原告が日本で起こした訴訟において、裁判所は、旧日本製鐵が原告らを強制労働に従事させた事実は認定し、それについて旧日本製鐵が不法行為責任を負うことは肯定しました(旧日本製鐵と、戦後に同社を分割して設立された新会社の1つである新日鉄住金との間に法的同一性がないとの理由で請求は棄却(大阪地判平成13年3月27日))。当然のことながら、旧日本製鐵の不法行為責任を認定する過程で、裁判所は、日本による朝鮮半島統治の違法性などということは一言も言っていません。つまり、民間企業の不法行為責任を認定するために、「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配」ということを言う必要は本来ないはずです。それにもかかわらず大法院が「不法な植民支配」に言及したのはなぜでしょうか。この点は、判決を何遍読んでもよくわからないのですが、韓国の関連判例なども参考にすると、次のように理解できそうです。すなわち、当時の日本は、朝鮮半島において、「日本天皇に服従せねばならないという意識を注入して日本国の植民統治に順応するように教育」(光州高等法院第二民事部2015年6月24日判決)して、朝鮮半島住民が日本における労働内容などについてよく理解できないまま日本企業の労働者募集に応じてしまう状況を構造的に作り出していた。日本によるそうした教育等は、合法的な権原に基づき統治を行う地域において自国民に対して行うのであれば問題ないが、権原のない違法な支配の下にある地域で行えば、それは違法性を帯びることになる。日本の民間企業は、そうした違法行為によって構造的に作り出された状況を知りつつ、かつ、そうした状況を利用して、労働者を募集し労働に従事させたのだから、募集の過程で物理的な強制がなかったとしても、それは日本政府と日本企業の「組織的な欺罔により」行われた違法な「強制動員」に当たる、というのが大法院判決の趣旨でしょう。大法院によれば、このような意味での「強制動員」被害者の慰謝料請求権は、日本による朝鮮半島統治の違法性を前提にしてはじめて成立するものであるから、朝鮮半島統治の合法性を前提とする日本との間に合意は成立し得ず、日韓請求権協定の外に、未解決のままで残された、ということです。もちろん、大法院のこの判断は、交渉で取り上げなかった問題は日韓請求権協定の対象外だという理解を不可欠の前提にしていますが、協定の条文を基礎に解釈する限り、日韓請求権協定は、交渉で取り上げた問題も取り上げなかった問題も含め、韓国・韓国人と日本・日本人との間の請求権の問題をすべて包括的に解決したと解するのが自然であることは、既に述べた通りです。

4 おわりに

 条約の締約国は、その条約の義務を守らなければなりません。国家が条約を守る際、条約義務の内容がわからなければどういう行動をとればよいのかわかりませんので、国家は条約をまずは自ら解釈します(自己解釈(auto-interpretation))。自己解釈は他の締約国を拘束しません。強制的管轄権をもつ裁判所がない国際社会では、複数の自己解釈の併存という事態がしばしば生じます。請求権協定をめぐる日韓の対立も、2つの自己解釈が対立・併存している状態と理解できます。本コメントで述べてきたように、日韓請求権協定の解釈としては日本政府の解釈の方が自然だとは思いますが、韓国大法院の解釈が完全にあり得ないかというとそんなことはなく、「国際法に照らしてあり得ない判断」と断定して済むような話ではありません。日本政府の解釈の方がより妥当であることの説明が必要です。

 なお、日韓請求権協定には、自己解釈の対立・併存を解消するための手続が用意されています。協定の解釈・実施に関する紛争の仲裁委員会による解決(3条)という手続です。「紛争」の存否は客観的に認定され、仲裁手続に応じることは協定上の義務です(阿部浩己「日韓請求権協定・仲裁への路:国際法の隘路をたどる」『季刊戦争責任研究』80号(2013年)26-27頁))ので、韓国が仲裁手続に応じていないことは、それ自体が国際法違反を構成します。