ロヒンギャ問題と国際刑事裁判所

国際法学会エキスパート・コメントNo.2020-11

竹村 仁美(一橋大学大学院法学研究科准教授)
脱稿日:2020年6月15日

 

1.はじめに

 ミャンマー連邦共和国(ミャンマー)は、めざましい経済発展と民主化で知られるアジア地域の新興国です。ミャンマーでは、国民の約9割が仏教徒とされており、少数派のイスラム教徒、いわゆるロヒンギャに対して、軍など政府当局による人権侵害が行われているのではないかとの疑惑が生じ、国際社会の注目が集まっています。

 2019年11月14日、国際刑事裁判所(以下、ICC)の第3予審裁判部は、バングラデシュ人民共和国(バングラデシュ)とミャンマーにおける事態に関して、検察官の職権捜査に当たる「自己の発意による捜査開始要請」に対する捜査開始の許可を与えました。1日前の11月13日には、イギリスにあるロヒンギャの団体と南米の人権団体が、重大な国際法上の犯罪についてどこの国で誰が行ったものであっても自国で裁くこと(普遍主義)を認めているアルゼンチンの裁判所にミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家最高顧問らをロヒンギャに対するジェノサイド(集団殺害犯罪)などで刑事告発しています。11月11日には、ガンビアが国際司法裁判所に対してジェノサイド条約の違反をめぐってミャンマーを訴え、仮保全措置命令を要請しました(別コメント参照)。

 ICCはInternational Criminal Courtの頭字語です。ICCは個人の刑事責任を国際法に基づき国際的な刑事裁判で追及することのできる国際組織であり、設立条約であるICC規程(以下、規程)によって設立されました。

 ロヒンギャの流出先となっているバングラデシュは2010年6月10日から規程の締約国となっている一方、ミャンマーは規程の非締約国です。ミャンマーの国家顧問省は、2018年4月8月にICCには関与しないとの立場を表明しました。

 ICCの活動は、時に非締約国にも影響することがあり、アフガニスタンやパレスチナの事態については、非締約国である米国イスラエル強く反発しています。以下では、この問題についてICCの動向に焦点を当てながら、ICCの仕組みを解説し、最後に今後の見通しを示します。

 

2. 経緯

 まずは事態の経緯を概観しましょう。ミャンマー政府は、同国ラカイン州のイスラム教徒でロヒンギャを自称する人々に対して同州の民族であることを否定するため「ベンガリ」などと呼び、国連人権理事会の設置した国連の独立事実調査団の報告書(以下、委員会報告書)によればその大部分について国籍を付与してきませんでした。2012年にラカイン州で仏教徒の女性が殺害されたことを契機として仏教徒とイスラム教徒の対立が激化し、ロヒンギャの武装勢力アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)が組織され、2016年10月にラカイン州北部でARSAによる国境警備隊襲撃事件が起こりました。この襲撃が治安部隊によるロヒンギャへの弾圧を招き、それに再反発する形で2017年8月25日早朝にはARSAが軍事拠点や治安部隊等を攻撃します。ARSAの攻撃に対してミャンマー当局は機敏に対応し、ロヒンギャを対象とした掃討作戦(clearance operations)が展開されることとなります。委員会報告書によれば、遅くとも2017年8月にはラカイン州で非国際的武力紛争が発生し、ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪に匹敵する行為が生じたといいます。

 

3. ICCの仕組み

 ICCは「国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪」(規程前文)を行った個人の刑事責任を追及するために条約によってオランダに設立された常設の国際刑事裁判所です。冷戦後、国連の安全保障理事会(安保理)が旧ユーゴスラヴィアとルワンダで生じた大規模人権侵害に対処するために臨時の国際刑事法廷であるICTYとICTRを国連憲章第7章に基づく決議827955によって設置するとICC設立の機運が高まり、1998年7月17日、ローマで規程(ローマ規程)が採択されました。2002年7月1日に規程が発効しICCが設立されます。現在、日本を含む123ヶ国が締約国ですが、米中露は参加していませんし、ASEAN諸国の締約国はカンボジアのみで、組織の普遍性に課題を残します。

 現状で国際社会には世界警察やICC自前の警察は存在せず、被疑者の逮捕や引渡しなどICCが機能的に活動するためには関係国の協力が欠かせません。

 したがってICCは国家に優越せず、あくまでもICC検察局の捜査・訴追対象となっている事件について管轄権を有する国に捜査・訴追を行う意思又は能力がない場合に、国家の刑事裁判権を補完する機能を有するにとどまります。これを「補完性の原則」といいます。

 ICCの捜査・訴追対象となる犯罪は、ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪に限られています(5条)。このうち、侵略犯罪については規程に定義が置かれず、2010年6月に採択されたいわゆるカンパラ決議によって、ICCで裁く仕組みが整えられました。本件で問題となっている犯罪は、人道に対する犯罪と呼ばれる犯罪であり「文民たる住民」に対する広範又は組織的な攻撃を禁止する犯罪類型です。

 ICCの対象犯罪が行われていると判断される場合、捜査対象となる「事態」が次のいずれかの方法で検察局に係属します。①締約国は犯罪の発生していることを検察局に届け出ることで事態を付託できます。②国連の安保理は国際の平和と安全を維持し又は回復するために憲章7章に基づく決議を採択することで事態を検察官に付託できます。③検察官は規程15条に定められる予審裁判部による許可を条件として自発的に捜査を開始できます。その際、検察官は53条1(a)から(c)に定められた犯罪の重大性などの事項を評価して予備調査を行い、予審裁判部に捜査開始許可申請をします。

 侵略犯罪以外の対象犯罪の管轄権行使の前提条件について、①と③の場合には、犯罪行為発生地国又は被疑者国籍国のいずれかが規程の締約国又はICCに裁かれることに同意する国(管轄権受諾国)でないといけません(規程12条2)。②の場合には、規程非締約国の事態であっても扱えることになっています。さらに、①と③の場合であっても、締約国の領域内、締約国を登録国とする船舶・航空機内で行われた犯罪については、非締約国国民に対してICCの管轄権が及ぶ可能性があります。

 ICCは第1審裁判部と上訴裁判部からなる2審制を採用します。現在までにICCの検察局が捜査を開始した事態は13あり、そのうち締約国付託が6件、安保理付託が2件、自発的捜査が5件となっています。現時点で実際に訴追に至った事態はすべてアフリカの事態であるため、アフリカ諸国のICCへの不信感につながっています。

 

4. ロヒンギャ問題とICC

 ミャンマーは規程の非締約国であるため、この問題をICCが扱えるかどうかが問題となります。もちろん非締約国の事態は、安保理付託であれば扱えます。事実、委員会報告書は、安保理にこの事態をICCへ付託するか臨時の国際刑事法廷を設置するよう要請しています(1700段)。しかし、ロヒンギャ問題に安保理が関与すべきかどうか常任理事国間で意見の一致を見ず、ICCへの付託も国際刑事法廷設置も望み薄です。

 そこで検察局に残される選択肢は自発的捜査となります。検察局は捜査開始のための予備的な検討に着手するに当たり、人道に対する犯罪の中でも規程7条1(d)の「追放(deportation)」という行為の越境的性質に着目しました。2018年4月9日、ICC検察局は、ロヒンギャの人々に対する追放元が非締約国ミャンマーであり、追放先が締約国であるバングラデシュであると判断し、追放容疑についてICCが管轄権を行使できるかどうか判断してもらおうと、規程19条3に基づき予審裁判部へ決定の請求を行いました。

 2018年9月6日、ICCの第1予審裁判部は、検察局の主張をほぼ裏書きする形で、ICCが迫害に対して管轄権を有するとの決定を出しました。

 本決定に関して主に3つの論点が指摘できます。第1に、捜査も開始されていない段階で規程19条3の管轄権の問題に関する決定の請求を検察官は行えるのかという問題です。この点には一部反対意見が付されました。19条3は「検察官は、管轄権又は受理許容性の問題に関して裁判所による決定を求めることができる。(略)」と規定しています。多数意見はこの規定の適用可否を判断せず、管轄権がミャンマーによって争われているとみなし、規程119条1の「裁判所の司法上の任務に関する紛争については、裁判所の決定によって解決する」という規定を根拠として管轄権の問題について判断できると判断しました。反対意見は、捜査が開始されて「事件」がICCに係属して初めて検察官は管轄権に関する決定を請求することができると述べます。

 なお、2020年1月22日にもICCがパレスチナに対して属地的管轄権を行使できるかという問題について検察官が規程19条3に基づく決定の請求を予審裁判部に行いました。

 第2の論点は、規程7条1(d)の定める「住民の追放又は強制移送」をどのように解釈するのか、「追放」と「強制移送」は2つの独立した犯罪かという問題です。ICC検察局は、7条1(d)が2つの別個の犯罪を規定していると考え、予審裁判部もこれを支持しました。ICTYの裁判例は両者を区別する基準として文民の強制移動先を挙げ、法律上又は事実上の国境を越える強制移動が「追放」であり、一国内の強制移動が「強制移送」であると示しています。予審裁判部もこれとICCの先例などを踏まえて2つの犯罪を区別しました。

 3点目の論点は、ICCによる属地主義に基づく管轄権行使の範囲です。検察官の自発的捜査の場合には、犯罪行為発生地国、被疑者国籍国のいずれかが締約国又は管轄権受諾国でなくてはなりません。検察局は客観的属地主義(又は客体的属地主義:objective territorial jurisdiction)の下、管轄権を行使できると主張しました。

 国家が領域内で生じた行為に対して、属地主義に基づいて国内法を制定し、適用し、執行する管轄権は国際法上争いなく認められています。国家は属地主義を拡張することがあり、領域内で開始され、領域外で完成した行為に対する管轄権行使を主観的属地主義(又は主体的属地主義:subjective territorial principle)といい、領域外で開始され領域内で完成した行為に対する管轄権行使を客観的属地主義といいます。いずれも管轄権の根拠として国際法上認められていると考えられます。

 ところが、客観的属地主義はICC規程12条2(a)に明示的に規定されていません。そこで国家間の管轄権行使の根拠として認められてきた拡張的な属地主義にICCが依拠できるのかが問題となりました。予審裁判部は、12条2(a)の規定について、国家が国内法体系上認められている管轄権行使をICCにも同様に認める趣旨で起草されていると判断しました。そして、犯罪の構成要件要素の少なくとも1つ又は犯罪の一部が締約国の領域で行われていれば、ICCは管轄権を行使し得ると述べました。 

 

5. 第3予審裁判部による捜査開始許可決定

 管轄権のお墨付きを得て、2019年7月、検察局は捜査開始許可申請を行い、2017年8月25日以降ミャンマー軍(Tatmadaw)、ミャンマー国境警備隊(BGP)、ミャンマー警察部隊(MPF)などが人道に対する犯罪、とりわけ住民の追放、迫害、その他の非人道的な行為をしたと信ずるに足りる合理的な基礎が認められると主張しました(4段)。検察局の情報は主として国連独立事実調査団やNGOの報告書に依拠しています。

 2019年11月、第3予審裁判部はバングラデシュ/ミャンマーの事態の捜査開始を許可しました。具体的には、53条1に基づき検察官の裁量権が適切に行使されているかどうか管轄権と受理許容性の側面から審査しています。管轄権については、国家が国際法上行使することを認められている属地的管轄権をICCに委譲しているのであって(60段)、追放容疑では被害者が国境を越えることで締約国との属地的連関が生じており、客観的属地主義など国家間で国際法上認められている管轄権行使に当たるとして12条2(a)の管轄権を肯定しました(61段)。

 予審裁判部の捜査開始許可決定は、国連とNGOの報告書と被害者陳述(15条)などの情報に基づいています。人道に対する犯罪については「広範又は組織的」攻撃であるという文脈的要件が課せられているので、国家の政策としてミャンマー国内で行われた殺人、拘禁、強制移送などの行為を文脈的要件の判断材料とし、文脈的要件を満たすとしました(93段)。そしてミャンマー軍によるロヒンギャの追放は、民族的・宗教的理由のいずれか若しくはその両方の理由に基づく特定の集団又は共同体に対する迫害であると信ずるに足りる合理的基礎があると結論づけました(109, 110段)。

 事態の受理許容性について、予審裁判部は特定の「事件」のない状況で補完性を詳細に検討する必要はないとし(115段)、60万人ないし100万人のロヒンギャがバングラデシュへと強制的に移動させられた犯罪の規模と被害者の数に鑑みて重大性の基準を満たすと判断しました。そして、捜査が裁判の利益に資するかどうかについて、検察官による肯定的評価に反対する理由がないと結論し、アフガニスタンの事態について裁判の利益に資するものでないとして捜査開始を不許可と判断した第2予審裁判部決定(上訴審は捜査開始許可)とは対照的に簡潔な言及にとどまりました(119段)。

 

6. おわりに

 最後にロヒンギャ問題とICCについて今後の見通しに触れます。ICCが扱ってきた非締約国の事態では、リビアの事態もスーダンの事態も国家の非協力が認定されており、特に国家機関が捜査対象となる場合、協力を得ることは困難です。今回、被害者の多くはバングラデシュにいるので証言を得やすいとはいえ、訴追対象が特定された後、被疑者の逮捕や引渡しに課題が残るでしょう。

 ICCの予審裁判部はバングラデシュ/ミャンマーの事態を通じて、属地主義に基づき自身の管轄権を拡大的に捉える傾向を明らかにしたといえます。ただし、この解釈は予審裁判部によるものであり、今後上訴裁判部がこの判断を覆す可能性も否定できません。

 ICCで将来訴追の行われる事件について、ミャンマー自身による独立・公平な刑事手続が実現すれば、補完性の原則に基づきICCに優越する可能性も理論上残ります。日本はミャンマーと友好関係にあり、人権啓発の側面からの同国支援も期待されます。2019年8月に出された国連の報告書では、ロヒンギャの掃討作戦に当たって、2017年9月の軍による資金調達キャンペーンに日本企業も金銭支援をしたと指摘されています。日本はICC規程締約国として足元を強化する必要もありそうです。

 冒頭で見たアルゼンチンのように、ミャンマー以外の国がロヒンギャ問題に刑事司法上の対応をする可能性も残っています。ICCにより体現された最も重大な犯罪に対する国際社会の真実追究と不処罰の終焉の精神が、ロヒンギャ問題を国際問題へと発展させているといえるでしょう。