Covid-19と国際機構

国際法学会エキスパート・コメントNo.2021-4

岡田 陽平(神戸大学大学院国際協力研究科准教授)
脱稿日:2021年3月27日

 

 

1.はじめに

 新型コロナウイルス感染症(Covid-19)が私たちの生活のあらゆる側面に大きな影響を与えていることについて、改めて詳述する必要はないでしょう。ここでは、同じく私たち人間の活動のあらゆる側面に関与するようになっている国際機構(国際組織または国際機関と呼ばれることもあります)に着目し、それらがどのようにCovid-19に対応し、また、そのなかでいかなる課題に直面しているのか、国際法の観点から解説します。

 国際機構の関連する取り組みすべてをここで紹介することはできませんが、たとえば、Covid-19が経済および労働市場に深刻な影響を与えていることを受けて、国際労働機関(ILO)は、各国の対応に関する情報を集約し、公開するとともに、感染拡大がビジネスに与える影響を緩和するための政策提言を行っています。世界中で実施されている休校措置が教育に与える影響もまた無視できません。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、各国の休校状況を調査し、その影響を受けている児童生徒数などの情報を公開しています。またユネスコは、教育の中断が、不平等や格差の拡大といった深刻かつ長期的な影響を社会・経済へともたらすことを重く受け止め、グローバル教育連合を立ち上げました。この連合には、ILOなど他の国際機構に加えて、Microsoft、GoogleやFacebookといった民間企業も参加しており、多様なアクターの協力により、世界中のすべての子どもたちが教育サービスにアクセスできるよう、遠隔学習の実施や学校の再開が促進されています。

 しかし、いうまでもなく、Covid-19によってもっとも直接的に脅かされているのは、私たちの健康です。そして、まさに私たちの健康を増進・保護する目的で設立された国際機構が、世界保健機関(WHO)です。ところがWHOは、今般の世界規模での感染拡大への対応をめぐり、痛烈な批判にさらされています。以下では、そもそもWHOとはいかなる国際機構で、何ができるのか(何ができないのか)を概観し、そのうえで、WHOのような国際機構の国際関係(およびそれを規律する法、すなわち国際法)における位置づけについて検討したいと思います。

 

2.世界保健機関(WHO)とは

 WHOは、1946年に採択された世界保健機関憲章(1948年発効。以下、WHO憲章)に基づいて設立された国際機構で、現在の加盟国数は194に上ります。国連加盟国が193であることに鑑みれば、普遍的な参加を確保しているといえるでしょう(ちなみに、クック諸島とニウエが、国連に加盟していないWHO加盟国であり、他方、リヒテンシュタインが、WHOに加盟していない唯一の国連加盟国です)。このことは、ますます多くの人間が、より頻繁に、そして、より短時間で国境を越えて移動するようになった現代において、感染症への効果的な対応という観点から、重要な意味をもちます。

 同じ観点から、WHOが、国際的なルールづくりにおいて強力な権限を有していることは注目に値します。WHO憲章21条(a)号によれば、WHOの最高意思決定機関である世界保健総会(全加盟国の代表によって構成されます。以下、保健総会)は、「疾病の国際的まん延を防止することを目的とする衛生上及び検疫上の要件及び他の手続」に関する規則(regulations)を採択する権限を有しています。採択された規則は、続く22条に基づき、一定「期間内に事務局長に拒絶又は留保を通告した加盟国」を除き、すべての加盟国を法的に拘束することになります。したがって、保健総会における規則の採択こそ多数決で行われるものの、加盟国が自らの意思に反して規則に拘束されることはありません。しかし主権国家が、拘束されることについての同意を明示的に与えなくても、「拒絶又は留保を通告し」ない限り、自動的に法的に拘束されるようになるという仕組みは、国際法においては例外的だといえます[i]

 

3.国際保健規則(2005年)

 もっとも、1948年のWHO憲章発効以来、この21条に基づく権限が頻繁に行使されてきたかといえば、必ずしもそうではありませんでした。ですが、今日の国際防疫に係る法的枠組みの要は、保健総会がこの権限を行使して採択した2005年の国際保健規則(2007年に発効)であるといって差し支えないでしょう。国際保健規則(その前身は1951年の国際衛生規則)は、もともと1969年に採択されたものでしたが、2002-2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の教訓などに基づいて、2005年に大幅な改正が行われました。国際保健規則(2005年)は、「国際交通及び取引に対する不要な阻害を回避し、公衆衛生リスクに応じて、それに限定した方法で、疾病の国際的拡大を防止し、防護し、管理し、及びそのための公衆衛生対策を提供すること」をその目的としています(2条)。

 上述のとおり、国際保健規則それ自体は条約ではありませんが、国を法的に拘束するものです。では、具体的にはどのような義務が定められているのでしょうか。この点、注目すべきは6条です。そこでは、国は「自国領域内で発生した国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態を構成するおそれのあるすべての事象及びそれら事象に対して実施される一切の保健上の措置を[…]WHOに通報しなければならない」と規定されています。ここで「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(public health emergency of international concern, PHEIC)」とは、「疾病の国際的拡大により他国に公衆衛生リスクをもたらすと認められる事態」、「潜在的に国際的対策の調整が必要な事態」と定義されています(1条1項)。

 かくして国からもたらされた情報に基づいて、当該事象がPHEICを構成するか否か、その認定を行う重要な役割を与えられているのがWHO事務局長です(12条1項)。PHEICが発生していると認定した場合には、事務局長はさらに、15条に基づいて「暫定的勧告」を行うことができます。

 

4.WHOの対応への批判

 Covid-19について、現WHO事務局長のテドロス・アダノム・ゲブレイエスス[ii]がPHEICの宣言を行ったのは2020年1月30日のことでしたが、これが遅きに失した(そうだったとして、このことが実際にどの程度各国の対応の遅れにつながったかは必ずしも明らかではありません)、そして、その原因はWHOが「中国寄り」だったからだ、という批判がなされてきました。周知のとおり、こうした批判を繰り返していたドナルド・トランプ前アメリカ大統領は、最終的に、WHOからの脱退を正式に通告するに至りました(この脱退通告については後述します)。

 確かに、PHEICの宣言に際しても、事務局長声明の少なくない部分が、中国当局の対応への称賛に割かれており、中国に対して最大限の配慮が払われていたことは事実です。しかし、WHOに限らず、およそ国際機構は、加盟国による自発的な協力なくして、その設立目的を達成することはできません。PHEICを構成するおそれのある事象は、この地球上のどこか(ほとんどの場合、いずれかの国の領域)で発生しますが、WHOは、それを自ら検知する能力を(法律上も実際上も)もちません。それゆえ、領域国の当局が唯一の情報源というわけではないとしても、当該国からの情報提供がなければ、この制度は機能しないという指摘には首肯せざるをえないでしょう。上述のとおり、国際保健規則(2005年)は法的拘束力をもつため、ある国が6条に基づく義務に違反して通報を怠った場合、他国がその違反に対する法的責任(国際違法行為責任)を追及することは考えられます。しかし、WHOが違反国に対して制裁を科す仕組みはありません。強制する術をもたない以上、WHOが加盟国による自発的な遵守を促すように行動したとしても不思議ではないでしょう。実際、今回WHOがみせた最大限の配慮は、2002-2003年のSARSの際に中国の対応を批判した結果、その後の対処に苦労した経験によるものだという指摘もあります。

 加えて、WHOはただ「疾病の国際的拡大を防止」すればよいわけではない、ということを思い起こす必要があります。というのも、国際保健規則(2005年)は、「国際交通及び取引に対する不要な阻害を回避」することもまた目的として掲げているからです。つまり、各国による国際交通・取引の制限を促しかねないPHEICを宣言すること、ましてや、各国に対して国際交通・取引の制限を勧告することにWHOが慎重にならざるをえない制度設計にそもそもなっているということです。実際、PHEICの宣言に際して、事務局長は、「国際交通・取引を不要に阻害する措置を講ずる理由はない。WHOは、取引・移動の制限を勧告しない」と強調しました。

 もっとも、国際保健規則(2005年)に基づくPHEIC認定手続に改善の余地がないわけではありません。この認定に際して、事務局長は、48条に基づいて設置される緊急委員会の助言を考慮しなければなりません(12条4項(c)号)。2020年1月22日に開催された緊急委員会では、委員の間で意見が分かれたものの、「当該事象はPHEICを構成しない」と結論づけられました。緊急委員会は翌23日にも開催されましたが、やはり、複数の委員が「PHEICを宣言するには時期尚早である」との見解を示しました。これを受けて、事務局長はPHEICの宣言を見送りました。問題は、こうした結論のみが公開され、緊急委員会がどのような議論を経て、いかなる理由でそのような結論に至ったか、私たちにはわからない、ということです。こうした透明性の欠如が、いかような憶測をも可能にし、結果的に上述のようなWHO批判へとつながったことは否定できません。

 

5.アメリカによる脱退通告

 すでに言及したとおり、トランプ前大統領は、2020年7月6日、WHOからの脱退を正式に通告しました。アメリカ国内法上の問題はさておき、国際法の観点からまず確認すべきは、WHO憲章が脱退に関する規定をもたないということです。しかし、脱退規定がないことは、脱退できないことを必ずしも意味しません(ちなみに、国際連盟規約がその1条で脱退手続について定めていたのに対して、国連憲章に脱退規定はありません)。アメリカは、1948年にWHO憲章を受諾した際、1年前の通告をもってWHOから脱退する権利を留保する、と明示した上下両院合同決議を受諾書に付していました。保健総会での当時の議論をみると、この条件つきの加盟に対して批判の声がなかったわけではありませんが、アメリカの参加を欠いての船出など考えられないという現実を前に、詳細な法的検討は回避され、結果的にアメリカの批准は全会一致で認められたことがわかります[iii]。こうした経緯を踏まえると、アメリカはWHOから脱退しえない、と主張することは難しいでしょう(もっとも、当該合同決議が、脱退の権利に、アメリカがWHOに対して負っているその会計年度の財政的義務を完全に履行すること、という条件を自ら付していたことも忘れてはなりません)。

 とはいえ、周知のとおり、ジョー・バイデン現大統領が、2021年1月の就任後、直ちにこの脱退通告を撤回したため、危機はひとまず回避されました。もっとも、この一連の出来事によって、(いかに大国とはいえ)一国における選挙の結果によって、大いにその命運が左右されるという意味において、WHOのような国際機構の脆弱性が浮き彫りになったと考えることもできます。

 

6.国際機構の独立性・自律性の確保

 そうであるとしても、国際機構が加盟国から独立し、自律的なアクターとして活動できるよう確保しなければ、国際協力において、国際機構という形態をあえて選択する意味は失われてしまいます。この観点から、国際法は、国際機構の特権免除に関する規則を発展させてきました。国際機構は、自らの領土をもたないので、常にいずれかの(加盟)国の領域において活動することになりますが、特権免除ゆえに、国際機構およびその職員に対する領域国の管轄権行使は大きく制約されます。たとえば、国際機構は私企業と同じようには課税されません。また加盟国は、多くの場合、国際機構に対して裁判権を行使することができません(国際機構の裁判権免除)。つまり、誰かが国際機構を相手取って提訴したとしても、国内裁判所は、原則として、そのような訴えを取り扱うことはできない、ということです。こうした特権免除は、国際機構の設立条約などで定められており、WHO憲章もその67条(a)号で、「この機関は、各加盟国の領域内で、その目的の達成及びその任務の遂行のために必要な特権及び免除を享有する」と規定しています。

 Covid-19をめぐって、こうした特権免除は、すでに実際の裁判で問題になっています。というのも、WHOに対しては、政治的な批判が向けられているだけではなく、その法的責任を問おうとする動きもみられるからです。たとえば、アメリカでは、PHEICが適切な時期に宣言されなかったことなどが不法行為を構成するとして、WHOを相手取った訴訟(クラス・アクション)が提起されています。アメリカは、WHO憲章に基づき、WHOに対して免除を付与する(裁判権を行使しない)義務を負っています。しかし、一見して明らかですが、WHO憲章の定め方はきわめて抽象的です。これを具体化するための条約は存在しますが、アメリカはその当事国ではありません。加えて、アメリカの裁判例においては、やや特殊な定め方をしている国内法に起因して、国際機構の裁判権免除の問題が近年複雑化していることにも留意する必要があります。しかし、もし世界中でこのような訴訟が提起され、その1つ1つについて、各国の国内法に基づき詳細な反論を展開しなければならないとなると、WHOの活動が大きく阻害されることは想像に難くないでしょう。

 

7.おわりに

 以上みてきたように、Covid-19は、WHOに大きな試練を与えています。しかし、WHOが苦境に立たされるのは、何もこれが初めてのことではありません[iv]。Covid-19という、グローバル化のしっぺ返しとでもいうべき未曾有の事態は、(しかしWHOがこれまでに経験した困難と同様に)今後取り組むべきいくつかの課題を明らかにしているように思われます。そして、それを踏まえたWHO改革の議論はすでに始まっています。たとえば、国際保健規則(2005年)がPHEICという一段階のアラートしか備えていないことを問題視する立場から、より柔軟な対応を可能にするため、レベルの異なる複数のアラートを段階的に発することができるような制度が提案されています。

 国際関係において、各国政府が自国の利益のために行動するのは当然のことです。そのなかで国際機構は、特定の国のためにではなく、中立の立場から、人類が国境を越えて直面している諸問題に取り組むものです。WHO憲章37条によれば、「事務局長及び職員は、その任務の遂行に当って、いかなる政府からも又はこの機関外のいかなる権力者からも訓令を求め、又は受けてはなら」ず、その国際的な「地位を損ずる虞のあるいかなる行動をも慎まなければな」りません。WHOのこうした中立性・国際性は、たとえば、ワクチンへの公平なアクセスという文脈において、重要性を帯びます。国際機構は決して万能な存在ではなく、また、常に正しい判断を下し、適切に行動するとは限りませんが、国際機構だからこそできることもあるはずです。言うは易く行うは難しですが、限られた資源と権限で最大限のパフォーマンスを発揮する、国際機構にはそれが求められているといえるでしょう。

 

[i] この点について、詳しくは、西平等「グローバル・ヘルスにおける国際法の役割――歴史的検討――」『法律時報』93巻1号(通巻1159号)(2021年)54頁、54-55頁を参照。

[ii] 彼の来歴および業績について、詳しくは、西真如「グローバル・ヘルスにおけるWHO事務局長の役割」『法律時報』93巻1号(通巻1159号)(2021年)72頁、73-76頁を参照。

[iii] World Health Assembly, 1st Session, 10th plenary meeting (2 July 1948), pp. 77-80.

[iv] 西「前掲論文」(注[i])54頁を参照。