コロナウィルス・ワクチンへのアクセス促進をめぐる枠組み:COVAX、知的財産プール、さらに特許権の放棄?

国際法学会エキスパート・コメントNo.2021-5

加藤 暁子(日本大学法学部准教授)
脱稿日:2021年6月3日

 

 

 新型コロナウイルス(以下「COVID-19」)の感染が世界的に拡大しているもとで、その対策の決定打として、通常であれば開発から数年、数十年を掛けて臨床試験、薬事当局による承認に至るワクチンが、前例の無いスピードと規模において開発、製造されて、世界各国で免疫確立に向けた接種が始まっています。各人への接種を真に有効なものにする上でも、必要とする者が等しくワクチンにアクセスする仕組みが世界的に求められる中で、以下では、それを実現する仕組みとして設けられたCOVAXファシリティー(COVAX Facility、以下「COVAX」)の仕組みや稼働の現状、そして、このCOVAXファシリティーと混乱されがちなMPP(Medicines Patent Pool:医薬品特許プール)等のいわゆる特許を含む知的財産プールとの違いについて述べます。なお、それらとの関係で、近時注目されている特許権の放棄の提案にも触れます(注1)。それらを含め、医療資源の製造、配分を巡る現状とその解決策の検討は、本学会『国際法外交雑誌』120巻1・2合併号COVID-19特集掲載予定の拙稿をご覧ください。

 

1. COVID-19パンデミックの発生と各国・地域の対応

 中国から世界に拡大したCOVID-19のパンデミックに関して、2020年1月30日にWHOは「国際的に懸念される公衆の保健上の緊急事態」(PHEIC:Public Health Emergency of International Concern)を宣言しました(以下WHOの一連の対応についてWHO HP “Timeline: WHO’s COVID-19 response”を参照Timeline of WHO’s response to COVID-19)。国境を越えたヒトやモノの移動を所与のものとする今日の世界において、COVID-19は、人獣共通感染症であり、その感染力は季節性インフルエンザ並ながら、特効薬となる治療薬が無く、感染後も無症状や軽症に留まる者が感染源となるという特性から、急速に世界的な流行(パンデミック)に移行しました。それに応じて、各国は、国境や都市を封鎖し、治療薬やワクチン、感染防止に必要な医療製品といった医療資源の開発、生産を急ぐと共に、すべての人がそれら資源にアクセスできる仕組みを築く必要が生じました。

 国家レベルでは、カナダやドイツ、フランス、イスラエル等の先進国を含む一部国家が、早くも2020年の3月以降に、COVID-19への対応において特に必要な医療資源に関して取得されている特許権や意匠権、著作権等の知的財産権について、政府の発令を以て権利保有者が許諾した者以外にも利用を認める、いわゆる「強制実施権」や「政府による権利の利用」を可能にする立法を成立させました(参照:世界知的所有権機関(WIPO) COVID-19 IP Policy Tracker COVID-19 IP Policy Tracker (wipo.int))。こうした強制実施権や政府による利用は、目新しいものではなく、日本の特許法(83条、92条、93条)をはじめとして各国の知的財産法に以前から設けられており、現実にそうした実施権が第三者に授けられないまでも、そうした制度があるために権利保有者に自発的ライセンスの付与を促す、いわゆる「伝家の宝刀」としての効果を発揮しています。今回立法措置を採った国家がCOVID-19への対応に必要な医療資源に関わる権利保有者との交渉を有利に進める効果を現実に得たかどうかは、検証を要します。しかし、例えばイスラエルは、政府首脳が以上の立法と並行してCOVID-19のワクチン製造業者と交渉し、国民への接種を最も速く提供しました。こうした各国の対応が世界的な製品へのアクセスにもたらす影響については以下のように議論の余地がありますが、少なくとも、(自国)国民に必要な医療資源を提供する国家の義務を履行しているとは評価できるでしょう。

 

2.COVID-19への国際的対応の枠組み-ACTアクセラレータとその一部門であるCOVAX-

 では、WHOを中心とする国際保健行政はどのように対応したでしょうか。

 WHOはCOVID-19に関してPHEICを宣言した後の2月3日に、「新型コロナウイルスに関する戦略的準備及び対応計画」を策定して対応の道筋を示しました(“Strategic Preparedness and response plan for the new coronavirus” 3 Feb. 2020 2019 Novel Coronavirus (2019‑nCoV): Strategic Preparedness and Response Plan (Draft as of 3 February 2020) – World | ReliefWeb)。対応の道筋は、①国際的な協調及び機能支援の迅速な確立、②各国の備えと対応の規模を拡大する、そのために各国からの自己申告に基づいて感染状況×対応力の5段階評価を行う)、③優先性と技術革新の加速、の3つに分けられました。その執行には6億7,568万米ドル(日本円にして700億円)を要するところ、現状の資金は約474万米ドル(5億円)であるという報告を受けて、国連基金(UN Foundation)とスイス慈善財団(Swiss Philanthropy Foundation)が協調して、新規にファンドを創設しました。

 その後、2020年4月の国連総会で、COVID-19への対応に向けた世界的な連帯(74/270)や、医薬品やワクチンその他医療資源への世界的なアクセス保証のための国際協力(74/274)を確認する決議が採択され、5月19日にWHO第73回総会(世界保健総会)が採択した決議73.1(COVID-19 response (who.int))は、国連総会決議に沿ってWHOの活動を取り決め、加盟国及び国際機関に政府及び共同体としての総力を挙げた対応を求めました。

 以上を踏まえて、2020年4月24日に、国際社会による対応の枠組みとしてACTアクセラレータ(The Access to COVID-19 Tools (ACT) Accelerator The Access to COVID-19 Tools (ACT) Accelerator (who.int))が設けられます(図1参照)(注2)。ACTアクセラレータは、

①診断(革新的新診断法財団FIND、グローバル・ファンドと連携)、

②治療(UNITAID、ウェルカム財団、及びグローバル・ファンドと連携)、

③ワクチン分配(COVAXを中心とする。疫学的備えの技術革新に関する連合CEPI、ワクチン連合Gavi及びWHOが連携し、Gaviを事務局、UNICEFを主な実施パートナーとして、ワクチンメーカー、市民団体、世界銀行等と連携)、

④公衆衛生制度コネクター(HS-C。世界銀行、グローバル・ファンドと連携)、

の4つを活動の柱に据えました。WHOが国連児童基金(UNICEF)をはじめ多様なパートナーの連携をつなぐハブとしての役割を担いながら、世界的に流行している一疾病に対応するという意味で、従来の公衆衛生に関するグローバル・ガバナンスの蓄積を生かしながら、新たな段階をつくるものです。なお、Gaviはスイスに本拠を置く非営利財団です。

 2021年4月のアクセラレータ設立一周年の節目に公表された活動報告書(”ACT now, ACT together 2020-2021 Impact Report” ACT now, ACT together 2020-2021 Impact Report (who.int))は、①診断に関して、LMIC諸国において1億2千万回分の迅速抗原テスト(rapid antigen tests: RAT)を確保し、②治療に関して、WHO唯一のCOVID – 19治療薬であるデキサメタゾンを290万錠調達し、47か国8万5千人の患者が参加する21種類の治療法の研究のための15の臨床試験を支援し、③のCOVAXに191か国・地域が参加しており、12のワクチン候補に関する研究開発に120億米ドルを投じ、うち3つの候補が臨床的な有効性を認められ、さらに2つが緊急使用のライセンスを与えられた、なお、ワクチンメーカーと交渉して5種のワクチン20億回分を確保し、その使用先として、100以上の国家のワクチン開発及び接種計画の策定を支援し、接種4000万回分のワクチンを61の低・中所得(LMICs)国・地域を含む100以上の国家・地域に輸送した、さらに④の公衆衛生制度コネクターに関して、5億米ドル相当の個人向け防護製品(PPE)を調達し、129か国の対応上の課題を洗い出した、と述べています。

 中でも、COVAXは、COVID-19の免疫確立に有用なワクチンを国際的に確保、調達し、国家・地域の収入水準にかかわらずに分配するために編み出された国際協調の仕組みです(図2参照)(注3)。活動の第一段階では、全参加国が全人口の20%に達するまで、対象国におけるワクチン接種の準備及びCOVAXが利用可能なワクチンの状況に応じてワクチンを調達、分配します。第二段階は、参加国の人口の残り部分について、対象国の脆弱性とCOVID-19の脅威の状況に関するリスク評価の結果に応じて加重配分を行います。リスク評価の手法は、第一段階の終了が見えてくる時点までに定められますが、高リスクの参加者にはより早くにワクチンを配分しながら、全ての参加者が各配分ラウンドにおいて何らかのワクチンを受領できるように調整されます。COVAXは向こう3年にわたり稼働すると予定されています。

 COVAXに参加を希望する国家・地域は、AMC(先行買い上げ公約Advance Market Commitment)の仕組みを通じて参加する資格を有するもの(AMC- Eligible Economy、以下「AMC EE」)と、それに含まれず、自己で資金調達を行うもの(SFP; Self-Financing Participants)に分けられます。AMCとは、Gaviが、ワクチンメーカーがワクチンの開発に成功し、WHO等から使用承認を受けたならば、それらを所定の数量において購入するとGaviが先行して公約して取り交わす契約です。AMCは従来、「市場の失敗」により製品開発が進まない希少疾病等のためのワクチン調達の仕組みとして用いられてきました。今回のCOVID-19ワクチンに関しては、資金力のある先進国が、COVAXとは別に、ワクチンメーカーとの間でAMC契約を締結してワクチンを買い占める動向が、自国第一主義であると非難を浴びてきたところです(例えば、「感染症流行対策イノベーション連合(CEPI)リチャード・ハチェットCEO『先進国の独占 危機延ばす』」『日本経済新聞』(2020年8月19日付け5面)ワクチン供給、21年上半期に 先進国の独占危機延ばす: 日本経済新聞 (nikkei.com)、「アフリカ苦境 資金不足/先進国が『囲い込み』」『毎日新聞』(2021年1月27日付け9面)新型コロナ ワクチン供給、世界混乱 アフリカ、確保苦戦 資金不足/先進国が「囲い込み」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

 COVAXでは、AMC EEは、2018年及び2019年の世界銀行のGNIデータに基づいてAMCを通じた支援を受ける資格を認められるLMIC80か国、及び、世界銀行のIDA認定を受けている12の経済地域の、合計92か国・地域が対象とされています。これらの地域・地域が「ワクチン要請に関する様式及び条件」に記入、署名して提出してCOVAXへの参加希望の意思表示を行うと、AMC参加者として認められます。AMC参加者に関しては、ワクチン連合Gaviが、多様な主体からの寄付金を元手にしてワクチンを購入し、COVAXを通じて分配します。AMC EEはまた、今回のmRNAワクチンの運搬に必要となる保冷設備の配備や技術的支援も要請することができます。例えば、バングラデシュは、国内ガバナンスが有効に機能せずCOVID-19の予防、治療を適切に実施できない下で、COVAXにAMCとして参加しています。インドは、国内のSerum Instituteがアストラゼネカ社からライセンスを得てワクチン生産国となり、周辺国やCOVAXにも提供してきましたが、自国生産では足りずにAMCとしてCOVAXを通じて調達しようとしていたところ、2021年3月以降に感染爆発が発生して世界的に懸念が高まっています。

 他方、SFPは、自己で資金調達を行って事前に支払を行うメンバーで、日本をはじめ99の高収入に類別される国家・地域が加わっています。例えば、ブラジルは、COVID-19の感染拡大を国として認めない下で感染者が急増して国内外で批判が高まる中、SFPとしてCOVAXワクチン受領を申請しています。彼らがCOVAXと結ぶ協定には、購入確約協定と選択的購入協定の2通りがあります。前者はCOVAXに一接種当たり1.60米ドルの代金、及び、8.95米ドルの保証金を支払います。前者はまた価格の上限設定の有無を選択可能であり、ワクチンの価格が一接種当たり21.10米ドル(推定加重平均価格とされている10.55米ドルの2倍)を超える場合は購入を希望しないと意思表示した場合、そうしたワクチンの分配の候補から外れます。後者は、ワクチンメーカーと一接種当たり3.10米ドルで契約を締結するのに必要な費用のうち当該参加者に割り当てられるpro rata全費用を前払いすることが求められる代わりに、COVAXから分配されるワクチンの種類を選ぶ権利を得ます。前払いの金額は後者が前者より大きいものの、最終的な所要コストは同一になります。

 以上の参加者向けとは別枠で、COVAXは、国家のワクチン配分計画の対象にならないハイリスクの人々に対して人道的な見地で提供するために、利用可能なワクチンの5%までの取り置き及び提供も予定しています。

 Gaviは、連携機関や5~10名の専門家で構成する独立製品グループ(IPG)から意見を聴取しながら、WHOの緊急使用リスト(EUL)、事前品質評価(PQ)又は厳格法令承認(SRA)を有するワクチンの中から、AMC契約に最も適する候補を選定して、ワクチンメーカーとの間で売買契約を締結します。これと並行して、Gaviは、AMC参加者がワクチンの分配に関する自国・地域の具体的な要請をとりまとめる作業を支援します。参加者は、特定のワクチン及びその候補を利用したいという希望を提示することが認められており、COVAX側は、可能な限り、単一の製品を一参加者に配分する、また、参加者の希望に合致するように分配を行います。こうした過程を経て得られるワクチンの需要と供給、ワクチンの属性、仕様等、さらに最小船積み数量や保冷条件等の輸送関連条件といった情報は、コンピュータ・アルゴリズムによって処理されて、配分計画が立案されます。このような配分過程におけるガバナンスの透明性は、合同分配タスクフォース(Joint Allocation Taskforce; JAT)と分配評価独立部会(IAVG)から成る分配枠組みが確保する、としています。

 以上の仕組みを通じて、COVAXは2021年中に接種20億回分、うちAMC諸国向けに13億回分のワクチンの供給を目指しています。さらには、ワクチン供給を短期間で増強し、将来的に安定供給を行うために、製造に関するタスクフォースも立ち上げています。その一環として、2021年3月以降、ルワンダ、セネガル及び南アで数カ国が今後10~15年間に、mRNAワクチンも製造できる5つのワクチン製造拠点をアフリカ大陸に展開する計画を立案しています。

 このように、COVAXは、規模の経済を生かした集中的、国際的な製品調達の仕組みであり、また、国家や国際機関から製薬企業や市民団体、財団法人等の民間組織まで多様な主体が協働して医薬品アクセス改善を目指す近時の「グローバル・ヘルス」の取り組みを敷衍した活動といえます。第二次世界大戦後にUNICEF等により、またここ20年ほどはMDGs及びSDGsの一環をなす医薬品アクセス問題解決のために、幾つもの製品プールが形成されてきており、今回COVAXの事務局を担っているGaviもそれらを推進してきた主体の一つです。ごく最近にも、2021年3月4日にWHOは、5歳までにほぼ全ての子どもが感染するとされているロタウイルス・ワクチンを、緊急時向けの最低価格において、Gaviの活動ではカバーされない難民キャンプや紛争地域に提供するための取引について、ワクチン・メーカー(グラクソ・スミスクライン社、GSK)とWHO、UNICEF及びNGO(「国境なき医師団」、Save the Children)の間で合意したと発表しました。今回の合意は、ワクチン調達を目的に2017年に設立された「人道的メカニズム」に依拠した2例目であり、その1例目はファイザー社及びGSKが肺炎、髄膜炎、敗血症の予防に関わる肺炎球菌ワクチンを12か国に提供するための合意でした。しかし、COVAXは、先進国を含め世界中の国・地域が緊急に必要としているワクチンの調達を目的にしている点で、前例がないものです。また、COVAXのワクチン配分のアルゴリズムが最適解を見出す上で考慮する様々な要素の中に、一部のワクチンメーカーが、保有する知的財産のライセンス状況に応じてワクチン配分について課す地域的、或いは取引上の限定条件が含まれています。このように、COVAXひいてはACTアクセラレータの活動は、知的財産とは間接的に関わっているのみです。

 

3.特許(知的財産)プール、自発的ライセンス・権利不行使宣言、さらに特許権放棄

 これに対して、特許プールとは(注4)、日本においては特許の複数の権利者が各々所有する特許のライセンス権限を一定の企業体や組織体に集中して、それらを通じてプール構成員などが必要なライセンスを受けるもの(公正取引委員会「特許・ノウハウライセンス契約に関する独占禁止法上の指針」平成11年7月)、米国ではよりゆるやかに、複数の特許権者が所有する特許を一括して第三者にライセンスする合意、仕組み、と定義されています。19世紀後半から、一製品に多数の知的財産が関わる、いわゆる「特許の藪」問題を解決するために、ミシンや航空機にはじまり多様な製品に関するプールが形成されてきており、現代ではそのほとんどが技術標準に関するものとされています。一製品を少数の基本特許でカバーする医薬品については、「特許の藪」の問題は生じにくいのですが、そもそも膨大な知的財産の情報にアクセスして、各国家・地域で、ある医薬品に関していずれの知的財産の出願又は/及び登録がされているか、権利が登録されている場合に、その知的財産を第三者が利用すると権利行使を受ける可能性があるかを特定し、権利者と交渉して処理する一連の作業は、リソースに乏しい国家・地域には大きな負担となります。

 この問題を解決して医薬品アクセスを改善しようと、知的財産を含む情報を集約し、ライセンス契約締結、ジェネリック製品の提供まで行う先例の一つに、COVID-19への対応においても注目されてきたMPP(Medicines Patent Pool、医薬品特許プールHome – MPP (medicinespatentpool.org))があります。MPPは、LMICs諸国の救命薬へのアクセスと開発の促進を目的に掲げて国連UNITAID他により2010年に設立されたスイスのNPO法人です。MPPが2016年に開設した医薬品特許・ライセンス・データベース(Meds-Pal MedsPaL)は、WHO必須医薬品リスト(EML)に含まれるHIV/AIDS、C型肝炎、肺結核をはじめとする優先医薬品に関する8千以上の特許の世界各国・地域における出願・登録情報を収集、収録しています。MPPは蓄積した情報をもとに、各国・地域に優先的に供給すべき医薬品に関わる特許権を抽出して特許権者と交渉して、HIV抗レトロウイルス薬13種、C型肝炎経口内服薬3種、結核治療薬1種に関して9の特許権者である製薬企業との間でライセンス契約を締結し、LMIC諸国にジェネリック薬を提供してきました。2020年3月以降は、暫定的にCOVID-19に関しても活動対象にすると宣言して関連特許情報を収集しており、COVID-19への対応に必須の医薬品製品について知的財産権の保有者による権利行使が考えられる場合に、グローバルなCOVID-19対策であるC-TAPの活動において必要な医薬製品について権利者による権利行使が想定される場合にMPPがライセンス交渉を行う構想です。

 このMPP以外にも、例えば国連の知的財産に関する専門機関であるWIPO(World Intellectual Property Organization、世界知的所有権機関)は、例えば2008年に新型インフルエンザに有効な治療薬の関連特許情報を分析する等しており、COVID-19に関しても、特許協力条約(PCT)の国際出願制度や各国・地域の当局から提供される膨大な特許情報を収録したデータベースPATENTSCOPEにおいてCOVID-19関連用語による情報検索を可能にしています。こうした特許情報の収集、公開にとどまらず、WIPOは、ノウハウや疾病対策として有用な製品自体の情報までを広く含むプールを2つ運用しています。WIPO:ReSearch(WIPO Re:Search)は、顧みられない熱帯病(NTDs)を対象としており、製薬企業や公的研究機関から提供されたノウハウまで含む知的財産の情報をデータベース化し、それらの情報を参加者間でマッチングするサービスを提供しています。また、WIPOと国際製薬団体連合会(IFPMA)及びその所属企業20社が設立したWIPO Pat-Informed(Patent Information Initiative for Medicines、Pat-INFORMED – The Gateway to Medicine Patent Information (wipo.int))は、低分子医薬品に関して製薬企業が自発的に提供した登録特許情報をデータベース化し、各国の医薬製品調達当局とマッチングも行っています。対象疾病はHIV/AIDS、心血管疾患、糖尿病、C型肝炎、ガン、呼吸器疾患、その他WHOのEMLに掲載された全製品と幅広く、COVID-19対応製品についても順次拡大中としています。

 こうした特許(知的財産)プールは、今回のCOVID-19への対応においても早くから提案、運用されています。グローバルIT企業が開設したOpen COVID Pledge(Open COVID Pledge – Open Covid Pledge)、日本企業による「知的財産に関する新型コロナウイルス感染症対策支援宣言」(HOME — GenoConcierge Kyoto (gckyoto.com))は、医療用高機能マスクに関わる意匠権・著作権や、感染者追跡プログラムに関わる特許権・著作権のような知的財産も対象に含むオープン化、権利不行使宣言です。

 他方、医療製品の中でも特にワクチンを含む医薬品の知的財産に関しては、製薬企業及びそれら企業の本拠地である国家・地域は、プーリングへの参加に積極的とはいえません。2020年3月に、コスタリカのCarlos Alvarado大統領は、ワクチンや検査、診断、治療薬等のCOVID-19に対応するためのツールは、世界的な公共財として、世界各国で手に入るようにしなくてはならないと述べて、WHO事務総長に対して、COVID-19対応に要する知的財産やデータ、医療資源を任意で世界的に共有するためのプールを形成するよう提案しました。この提案を受けて、4月には、COVID-19テクノロジー・アクセス・プール(The COVID-19 Technology Access Pool, C-TAP。COVID-19 technology access pool (who.int))が立ち上げられます。C-TAPは、WHO及び国際医薬品購入ファシリティー(UNITAID Home – Unitaid)が、ワクチン同盟(Vaccine Alliance, Gavi Gavi, the Vaccine Alliance)や一部製薬企業等と結んで、COVID-19への対応に要する医療資源に関わるイニシアチブです。政府その他の出資者や知的財産権の保有者に対して、公的な研究成果の公開及び共有、それらに関して取得されている知的財産に関するオープン・ライセンス又は自発的ライセンスを呼びかける、また、MPPのMeds-Pal等既存の公的プールからCOVID-19関連データを吸引して、COVID-19への対応に向けて知識、知的財産権及びデータの自発的な共有を目指すことが構想されました。この構想は、ACTアクセラレータ設立の機運を作りましたが、C-TAP自体はACTアクセラレータの内部には取り込まれずに、これを補完するものとして位置づけられました。C-TAPへの参加表明国は現在も40か国、先進国ではノルウェーとオランダ、ルクセンブルクの3か国のみに留まっています。

 また、日本政府も、COVAXへの協力に加えて、2020年夏には前掲のMPPを特許プールとして用いてワクチンはじめ必要な医療製品の供給増を目指すと表明しましたが、以上のような製薬企業等の姿勢を受けて、COVAXへの協力にシフトし、2021年6月2日のワクチン・サミットにおいてはCOVAXに対する8億米ドルの追加拠出を申し出ています。

 他方で、ワクチンメーカーを含む製薬企業は、取引相手を選んで自発的ライセンス契約を締結しており、知的財産のプーリングへの協力も、この点が確保できる場合に限る傾向にあります。COVID-19の治療薬候補となった既存薬をみると、HIV/AIDSの治療に有効な抗ウイルス薬レムデシビル(Remdesivir)を開発した米国ギリアド社は、MPPのMeds-Palによれば、LMIC諸国において約140の特許を取得する一方、2006年以降、MPPを介さずにジェネリックメーカーとの間で直接、126か国をカバーするライセンス契約を締結しています。同社は、COVID-19に関しては、米国連邦薬事局FDAが臨床試験中のレムデシビルの緊急使用を認める中、非排他的で無償の自発的ライセンス契約をエジプト、インド、パキスタンのジェネリックメーカー10社と締結して、LMIC諸国を中心に127か国への提供を、WHOによる緊急事態終息宣言、又は、レムデシビル以外に有効な製品の出現の、いずれか早いほうが実現するまでとして認めました(Voluntary Licensing Agreements for Remdesivir (gilead.com))。他方で、カレトラ(Kaletra)は、米国Abbott社がAbbvie社に特許権をライセンスして製造、販売を行っています。Abbvie社は、MPPとの間で、2014年に小児使用目的で102か国を対象として、2015年にはアフリカ54か国を対象として、無償でのライセンス契約を締結しながらも、対象国以外に向けた販売は、たとえ当該特許発明の実施が当該国で強制実施権の対象にされても、特許権侵害に当たると表明していました。今回のCOVID-19に際しては、実質的に全世界を対象にして、特許権の不行使を宣言しています。ジェネリック・メーカーの間でも、例えばMylan社は、米国FDAに対して最初にカレトラのジェネリック薬の販売承認を申請して排他的販売権を得る見込みでしたが、2020年3月にFDAに対して、米国における自らのジェネリック薬の排他的販売権を放棄すると通告して、他のジェネリックメーカーによる製造、販売を可能にしました(Mylan to Supply Investigational Antiviral Remdesivir for the Potential Treatment of COVID-19 | Mylan N.V.; Mylan Announces Additional Efforts to Support Response to the COVID-19 Pandemic by Voluntarily Waiving its Marketing Exclusivity in the U.S. for Lopinavir/Ritonavir to Help Ensure Wider Availability to Meet Potential COVID-19 Patient Needs | Mylan N.V.)。

 ここで、COVID-19のワクチンに関しては特に、ごく限られたメーカー名しか取り沙汰されませんが、これは、開発した企業が自社生産を強化すると共に、取引相手を選んで自発的ライセンスを与えているためです。ワクチン製造の技術は、知的財産として保護される最先端のものではないのが通例ですが、今回のファイザー社及びモデルナ社のワクチンはmRNAを用いた特許発明に基づいており、特許やノウハウの処理が不可避です。それら知的財産の権利処理ができてなお、ワクチンの製造に当たっては、特許発明以外にも相当の技術的ノウハウとそれらを実施する上での設備、今回は加えて超低温下の管理、運搬も求められます。さらに、ワクチンは従来、健康な人体に注射する上で、安全性や有効性に関して長期に渡る厳格な審査が課されています。加えて、ウイルスの変異や流行の変化に対応する必要がある等の要素により、民間企業には負担が大きいことから、日本ではメーカーの撤退が続き、産業基盤が脆弱でした。COVID-19の場合、ごく例外的な措置として、相次ぐ緊急使用許可に基づき製造されているため、世界的に、安全性への懸念から接種を回避する動きも生じています。

 

4.おわりに-特許権の放棄の是非

 一方、COVAXの活動を通じた途上国へのワクチン配分が国家・地域間の「ワクチン争奪戦」の渦中で進まない中、インド及び南アフリカは2020年10月にWTO(世界貿易機関)のTRIPS理事会において、COVID-19への対応に有用と判明した知的財産についてX年間に渡り、対応に要する限りで、TRIPS協定が義務付ける現在の知的財産保護の国際標準の侵害から免責する旨をWTO加盟国間で取り決めるよう、提案しました。同提案をめぐって、大まかには、これを支持する途上国及び市民社会と、否定的な先進国及び製薬産業が対立してきましたが、2021年5月に入り、米国バイデン政権が支持を表明して再び議論を呼んでいます。2021年5月下旬には、110以上のLMICs諸国が賛同する共同提案として、決定採択後少なくとも3年間、COVID-19への対応に必要な範囲での免除を認め、3年経過後は免除措置の必要性を一般理事会で検討し、不要と判断されれば終了するという提案の修正版が示されて、なおTRIPS理事会において議論が続けられています。この提案によれば、一部先進国のように特定の知的財産について第三者又は政府による利用を認めるにとどまらず、COVID-19に関し新規に開発される治療薬やワクチンに関する発明やノウハウもCOVID-19に関する限りで保護しない、つまり開発者は行使すべき権利を得ないことになります。私見では、同提案には、先進国及び製薬産業が表明している今後の研究開発に対するインセンティブ喪失の懸念に加えて、先に述べたように、ことにワクチンに関しては、ノウハウ等の製品関連情報や製造向けの設備も含めた技術移転まで措置しない限り、適切な製品の製造、分配が実現できるとは考えられないという難点があります。この点を曖昧にしたまま、知的財産保護を認めない方向に舵を取れば、低品質の製品、偽造品の被害が懸念されます。既に2020年中から世界税関機構や国際刑事警察機構が各国当局に警戒強化を呼びかけています。ワクチンの需要を満たさない現状に対して、COVAXへの各国・地域の協力を強化する、また、日本のように技術力を有する国を筆頭に、必要な水準の品質を確保できるローカルな生産能力を強化する、そのために必要な知的財産の処理について国際的に協議する。以上のいずれの方策についても、2021年11月に開催が決定したパンデミック条約策定に関するWHO臨時総会をはじめとする国際フォーラムを節目として、官民問わず幅広い人々の間における緊急の議論が求められています。

 

(注1)本稿脱稿前に、公衆衛生と特許権の関係の変遷、及び、COVID-19への対応策を包括的に検討された以下の文献に接しました。

中山一郎「COVID-19パンデミックにおける公衆衛生と特許」『知財管理』71巻4号(2021年4月)566-585頁。中山 一郎 (Ichiro Nakayama) – COVID-19パンデミックにおける公衆衛生と特許 – 論文 – researchmap

高倉成男「知的財産と公衆衛生」(ウェブ先行公開版)高倉・木下編『知的財産法制と憲法的価値』(2021年12月末刊行予定) 高倉成男「知的財産と公衆衛生」(高倉成男・木下昌彦編『知的財産法制と憲法的価値』(有斐閣より2021年12月末刊行予定)に収録予定)の先行公開について (meiji.ac.jp)

筆者は中山先生、高倉先生、松任谷優子先生(大野総合法律事務所)と意見交換をさせていただいて参りました、この場をお借りしてお礼申し上げます。無論、本稿の内容の責任はすべて筆者にございます。

 

(注2)ACTアクセラレータの仕組みについて、本文掲示のホームページの他、以下を参照しました。

WHO “What is the Access to COVID-19 Tools (ACT) Accelerator, how is it structured and how does it work?” 6 April 2021 What is the Access to COVID-19 Tools (ACT) Accelerator, how is it structured and how does it work? (who.int)

 

(注3)COVAXの仕組みについて、本文掲示のホームページの他、以下を参照しました。

WHO “Allocation logic and algorithm to support allocation of vaccines secured through the COVAX Facility,” 15 February 2021 Allocation logic and algorithm to support allocation of vaccines secured through the COVAX Facility (who.int)

 

(注4)以下のパテントプールの説明に関して、加藤恒『パテントプール概説改訂版:技術標準と知的財産問題の解決策を中心として』(発明協会、2006年)を参照しました。

 

*本稿はJSPS科研費 JP20K01429、JP20H04424の助成を受けたものです。