国連・人権条約体の役割とは ー 人種差別撤廃委員会(CERD)の活動

国際法学会エキスパート・コメントNo.2020-8

洪 恵子(南山大学法学部教授)
脱稿日:2020年6月1日

 

1.始めに

 今日の国連(国際連合)が人権保障に熱心に取り組んでいるのはよく知られています。もともと国連は1945年の創設時から、人権と基本的自由を助長奨励するための国際協力の促進をその目的の一つに掲げていましたが、2006年には人権理事会が設置されましたし、人権理事会によって任命される特別報告者や人権高等弁務官とその事務局はたえず深刻な人権侵害について国際社会の注意を喚起しています。また国連は以前から人権保障に関する多数国間条約の締結も推進してきました。こうした人権に関する多数国間条約においては、条約の履行を監視するために委員会を設けています。それら委員会は一般に人権条約体(Human Rights Treaty Bodies)と呼ばれます。人権条約体の任務はかなりの部分で共通していますが、実際にはそれぞれが強い個性を持っています。このエキスパート・コメントでは、人権条約体のなかで最も早く設立された人種差別撤廃委員会(CERD)を取り上げて、その特徴を説明していきます[i]

 

2.人種差別撤廃条約とCERD

 CERDは人種差別撤廃条約に基づいて設立された委員会です。18人の委員は締約国の選挙で選ばれますが、締約国の代表ではなく個人の資格で職務を遂行します(第8条)。人種差別撤廃条約は1965年に国連総会で採択された条約で、前述の通り、人権に関する多数国間条約としては最も早く採択されたものです(1969年発効)。人種差別撤廃条約が採択された背景には、第二次世界大戦中のユダヤ人に対するホロコーストに象徴される反ユダヤ主義や、植民地支配、南アフリカなどで行われていた人種隔離政策への国際的な非難の高まりがありますが、人種差別撤廃条約では禁止の対象とする「人種差別」を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」(第1条)と定めており、ユダヤ系やアフリカ系の人々に対する差別だけでなく、CERDはロマ、先住民、非市民や移民といった少数者の集団に対する差別の解消も締約国に求めてきました。

 さて、CERDの基本的な任務は、締約国が自ら守ると約束したことを本当に守っているかを確認し、守っていなければ、守るように勧告することです。そのため、締約国に対して定期的に自国の状況を委員会に報告するように求め、政府代表団をジュネーヴに迎えて、対話を行い、その結果を総括所見(Concluding Observations)として発表します(政府報告書審査)。このほか、個人からの申し立ても審査し決定を出します(個人通報)(ただしこの手続きを受けて入れている締約国に対するものに限る)。また人種差別撤廃条約では国家通報という手続も用意しています。国家通報については次の節で詳しく説明しますが、個人通報と名前が似ていますが、まったく性質の異なる手続きです。さらに、こうした条約に基づく任務のほか、CERDは、違反が生じたときにすぐに対応できるために早期警戒措置及び緊急手続(Early Warning Urgent Action Procedure)と呼ばれる手続も作り出しました。また特定の締約国に対して作成される総括所見とは異なり、どの締約国に対しても参考になるような一般的な性質を有する勧告(一般勧告、General Recommendation)の作成も行っており、現在は、人種的プロファイリングに関する一般勧告を起草中です。またNGOとも積極的に交流し、締約国の人権状況の実態を知る努力を行っています。

 

3.CERDに付託された国家通報

 国家通報の手続は、若干の例外を除いて人権に関する国際条約のほとんどに取り入れられていますが、ほかの条約と異なり、人種差別撤廃条約においては特別の受諾がなくても、人種差別撤廃条約を締結する国はすべてこの制度を受け入れる仕組みになっています。そうであってもなお、条約発効後およそ50年間、締約国によって国家通報の手続きが利用されることはありませんでした。しかし2018年の春に、立て続けに3つの事案が付託され、CERDは多くの困難に直面することになりました。すなわち2018年3月8日にカタールが、サウジアラビアとアラブ首長国連邦に関して申立を行い、4月23日にはパレスチナがイスラエルに対して申立を行いました。

 ところで、人種差別撤廃条約で規定される国家通報手続には大まかに次のようないくつかの段階があります。第一が、CERDに対して、他国の条約義務違反を申し立てる国から通知が行われるという段階、第二が、その通知の6カ月後にあらためて当事国によって事案が付託されるかどうかという段階、第三に、CERDによる管轄権と受理許容性の判断の段階、第四に、CERDの委員長によって特別調停委員会の委員が任命され、特別調停委員会が設置される段階、第五に特別調停委員会で検討が行われ、紛争の解決のための勧告を含む報告がCERDの委員長に提出される段階、最後に特別調停委員会の報告が紛争当事国に通知され、紛争当事国が勧告を受諾するかどうかを判断する段階です。これからも明らかなとおり、人種差別撤廃条約における国家通報の手続とは、言い換えれば、調停をCERDが主導で行うということです。調停とは国家間の紛争を平和的に解決するための国際法上の制度で、紛争当事者に第三者(委員会)が関与するところに特徴があります。他の国際調停と同様に、人種差別撤廃条約における特別調停委員会の勧告・報告にも拘束力はありませんが、条約の違反に関して特別調停委員会を設置するかどうかの判断は、当事国との交渉で決定するのではなくて、CERD自身が決定しますし、特別調停委員会の委員の選定についてもCERDの委員長が主導します。

 実際に、カタールがサウジアラビアとアラブ首長国連邦に対して申し立てた事案については、2019年8月27日にCERDは自らの管轄権と事案の受理許容性を認める決定を行い、特別調停委員会の設置が進められています。他方で、パレスチナがイスラエルに対して申し立てた事案については、2019年の12月12日にCERDの管轄権が認められ、次は受理許容性の判断を行うことになります。2018年春の付託からだいぶ時間がたっていますが、委員は常勤ではないので、年三回のCERDの会期中しか正式な決定を出すことができません[ii]。またもちろん事案の複雑さにも原因があり、カタールが付託した案件に関してはCERDの決定はすべてコンセンサスで行われたのに対して、パレスチナが付託した案件については、管轄権があるとする決定はコンセンサスではなく、CERDの伝統を破っての投票によって行われ、これには(筆者を含む)5人の委員による反対意見が付されました。

 まず、カタールが付託した事案は、2017年6月にサウジアラビアとアラブ首長国連邦がその他の国と共同で原告(カタール)に対して、カタールがテロリスト集団を支援しているとの理由で制裁を行うと宣言をしたことが原因です。サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、エジプトはすべてのカタール国籍保持者の自国からの追放を含む厳しい制裁措置を行いました。こうした強制的な措置が人種差別撤廃条約の諸規定(2条、4条、5条、6条)に違反しているというのがカタールの主張でした。これに対して、サウジアラビアとアラブ首長国連邦は様々な反論を行い、CERDのこの案件に対する管轄権と受理許容性を否定しようとしました。例えば、現在も条約の違反が行われている証拠はないであるとか、条約の第1条が規定する差別の根拠となる民族的出身(national origin)は国籍(nationality)とは違い、国籍によって異なる待遇を与えるのは差別には当たらないとか、国内救済原則が充たされていないといった主張です。さらにカタールはCERDへの国家通報のあと、国際司法裁判所(ICJ)に対しても訴えを提起しており、そのことも受理許容性の観点から問題になりましたが、CERDはそうした主張を退けてCERDの管轄権と受理許容性を認めました。しかし大事なことは、人種差別撤廃条約における国家通報の手続は、どちらの主張が法的に正しいかをCERDが決定し、当事国を従わせることではなくて、関係国に条約上の義務に関して紛争があるので、CERDが主導して特別調停委員会を設置し、その委員会の関与(報告)によって当事者間の紛争を解決することであって、現在、まさにそうしたプロセスが進んでいると言えます。

 これに対してパレスチナが付託した事案については根本的な問題がありました。というのも、パレスチナは2014年4月2日に人種差別撤廃条約に加入しましたが、同年5月16日にイスラエルは、イスラエルはパレスチナを国家としては承認せず、パレスチナを人種差別撤廃条約の当事国とはみなさず、人種差別撤廃条約におけるイスラエルの条約関係には何らの影響も与えないとする宣言(異議(objection))をしていたからです。これは人種差別撤廃条約の適用、特に国家通報に関してのCERDの管轄権の有無に関わる重大な事実であって、これをどう評価するかについて委員会のなかで見解が分かれました。一方では、イスラエルの異議の効果としてイスラエルとパレスチナの間に条約関係は成立せず、パレスチナはイスラエルに対して国家通報の手続きを開始することができないので、したがってこの案件にCERDには管轄権はないとの考え方があり、他方には、人権に関する多数国間条約は特別の性質を持っていて、締約国相互の条約関係があるかどうかに関わりなく国家通報の手続を進めることができると考える立場がありました。実定国際法の解釈から考えるならば、前者の考え方が妥当と言え、実際に国連の法務局もそうした意見を示しました(Interoffice Memorandum of the Office of Legal Affairs, 23 July, 2019)。そもそも国際法から見れば、CERDに管轄権があるかどうかの判断はもっぱら手続きに関する問題で、実体法の問題、すなわちパレスチナが申し立てたようなイスラエルの条約違反があるかどうかを検討するのではありません。しかし、厳密に法的にはそうであっても、CERDは裁判所ではないのだし、このような重要な案件には積極的に関わるべきと考える委員が多数だったといえるかもしれません。

 

4.おわりに

 CERDは2019年12月に記念すべき第100回目の会期を迎えました。これを記念して、普段CERDの活動に協力している市民社会からも共同声明が発せられました。CERDは長年にわたって膨大な数の政府報告書の審査を行い、またあらゆる形態の人種差別の撤廃のため、その保護の対象を次第に拡大し、また作業方法も工夫してきました。しかしCERDが多くの課題を抱えていることも事実です。冒頭で述べたとおり、今日、国連は人権保護に関して様々な機関・フォーラムを持つようになったので、人権条約体の存在意義もあらためて問われており、この秋の国連総会では人権条約体の強化について討議される予定です。ただ人権条約体には、独立した専門家である委員たちが締約国政府と定期的に「対話する」機会が、条約上の法的義務として確保されています。これこそが人権条約体の明らかな強みだと言えましょう。なぜなら締約国の人権状況を変えるためには、国連が代わりにその国を統治するというわけにはいかないのですから、結局はその国(政府)自身に考え方を変えてもらうしかないからです。そもそも差別の対象となるのは少数者の集団に属する人であることが多く、CERDは常に締約国政府と緊張関係にならざるを得ません。しかしCERDが締約国政府に対して、毅然として、且つ説得力のある意見を示して政府の考え方に影響を与えることが、条約の目的の実現、すなわち人種差別の撤廃につながる細くとも確実な道であると思われます。

 

 

[i] 筆者は日本人として初めてCERDの委員に選出されましたが(任期は2018年から4年間)、このエキスパート・コメントは一個人としての意見であり、CERDの見解を示すものではありません。

[ii] 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2020年春に予定されていた第101会期は延期になりました。